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自衛隊の天下りが話題になっている。確かにある一面を見れば「許せない」という感情が生まれるのは理解できる。官製談合+天下りであり、2年間は天下りを規制するという法に反し、言語道断である。という分析になるだろう。
Kは前から「法の文面ではなく、事の本質からプラス・マイナスを考察すべき」と書いている。今回の官民癒着の天下り構造は「税金の無駄遣い」を引き起こしている。と言う事は「これも一面的には正しい見方」だろうと思う。
しかし、である。52歳くらいで定年退職する職場などという物はあってはいけないのだろうと思う。もっと正確に言えば「定年退職は何歳であっても良いのだが、75歳にならないと年金がもらえない社会構造下では『雇用側の義務』として75歳まで生活できるようにするように考える必要がある」のだろうと思う。
一つの考え方とすると年俸を700万程度として計算して退職後に年金をもらえるまでの13年分として退職金を約1億円程度上乗せするというのが一つの考え方である。定年退職と自己都合退職は違うのである。定年(雇用側の都合)で退職させるのなら、退職後の生涯補償はする必要があるのだろう。
「トンでもないそんな退職金の資金がどこにある?」という意見はあるだろう。とすれば、例えば「ガードマン会社」というような「公務員もしくは準公務員」として自衛隊退職後のある程度採算性のある雇用機関を作るか、もしくは体力が低下しても受け入れられる自衛隊内官職が必要である。どちらも「実質的には役に立たなくなった自衛官を税金で養う」という事になるのだろうが、財政面から考えて「どれが、一番税金負担が少ないか?」になるのだろう。
Kとすると、自衛隊内でもポストによっては65歳まで勤めさせ、あぶれる部分は民間の企業を斡旋して引き取ってもらう(早い話は天下り)。というのは方法論として「結果的には一番税金への負担が少ない」のではないか?とも考える。
自衛隊という物の企業の性格を考えると、ピラミッド構造にならざるおえないだろうから、上部に行くにしたがい。あぶれて放出にならざるおえないだろう。
自衛隊の必要性という部分もあるが、少なくとも「日本国の防衛のために働いていた人」に対し「年を食って役に立たなくなったからと言う事でお払い箱」という考え方をするのは良いとは思えない。
自衛官を特別扱いする必要はない。という考えは正当性を持つとも思うが、民間企業ならある程度許される「他社への配転」に近い物が「天下り」ならば絶対悪という考え方が「公務員全体を特別視」しているのである。
全ては自己責任であり、自衛隊という職業を選んだ時点で「その職業を選らんだのだ」という考え方も出来るだろうが、52〜3才くらいで「体育会系の失業者が大挙して生まれる」と言う事の危険性というものもあるのだろうと思う。いくら「国のために自衛官をしていた人」であっても「飢え死にしそうならば犯罪に走る」可能性あると考えるべきであろう。
と、ここまでは前置きである。小泉氏が「格差社会は悪いとは言えない、今までは悪平等だった」という意味の発言をして話題になっている。
これはある意味では「正しい側面を持つ」と思う。しかし「社会に役立つ仕事をしている者が汗をかく努力が報われる」のと「ずる賢い者が、巧く立ち回った努力が報われる」のは全く違う。狡猾な者が上に行く格差社会を望む者は「狡猾な者以外」にはいないのだろうと思う。「社会に貢献している正直者が上に行く格差社会」に対してならば「今までが悪平等であった」とも言えるだろうが、どうも今回の小泉氏の発言はそのような意味で使われていないのだろうと考えている。
更に書いておくと「格差社会であっても、最低保障はするべき」だろうと思う。もちろん「働かざる者食うべからず」という意味で「最低保障するする必要は無い」という考え方も成立はするとは思うが、そのような者が「大人しく餓死する」と考えるならば大間違いだろう。犯罪の低下は「法を厳しくすれば可能」とは言い切れないのである。
結局は「千差万別の人たちがそれなりに暮らせる共生社会の構築」が犯罪の低下に必要なのだろうと思う。その為には「年金制度の充実と年金がもらえるまでの雇用体制」を総合的に考えていく必要があるだろう。努力が報われるべき部分は「加点評価」にする事が必要である。貧しい者から搾り取っての利益の付け替えによる「評価制度」では「底辺層の生活が破綻して『自殺の増加』と『犯罪の増加』などのマイナス効果が大きすぎる」のだろうと考えている。
前々から繰り返しているが「誰々が悪いからそこを是正しよう」という考え方では駄目なのだろうと思う。みんなで協力し合ってみんなが幸せと感じられる共生社会を考えていくべきである。「倒産のない公務員を引き下ろす」のではなく「あらゆる企業を倒産させないという方向」で考えるべきであるし、公務員の身分保障を羨むのではなく、企業の都合だけでは「解雇できない制度」を模索すべきなのである。