★阿修羅♪ > 雑談専用16 > 757.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 感想 Kさんへ 投稿者 東京音頭 日時 2006 年 1 月 14 日 14:35:04)
>東京音頭さん ご意見に感謝しておきます。
何度か書いていますが、Kはあっしらさんを嫌ったりはしていませんね、それどころか、かなり多くの部分でKよりは確かな思考をしている。と考えていました。
あっしらさんがKをどう思っているかはKが書く事ではないですが、あっしらさんが「阿修羅に限界を感じていた」のはかなり前の事で、直接にはKとの前回のやり取りとは無関係だろうと感じてはいます。あっしらさんは前に「小魚骨」というHNを使用する以前に阿修羅の限界を感じ、切っ掛けを捉えて「何かを変えようとしていた」と思います。その後、一昨年の年度末に姿を消します。
多分ですが、阿修羅での異常なほどの活動力は「あっしらさんにとっても大きな負担であり、阿修羅から離れたい」という考えは恒常的に持っていた可能性はあります。また、長期の海外出張等の理由で昨年の半分近い不在になったのかもしれません。場合によっては「体の都合」かもしれません。まあ、Kとのやり取りが「切っ掛けになった」可能性もあります。
あっしらさんの基本姿勢は「政府にはどのような無理な要求もして良い」という種類の物でした。対してKは「無理な要求は無理なのだから、対応策も考えるべき」という種類のものです。思考能力はあっしらさんの方が優秀でしたから、各論ではあっしらさんの方に軍配が上がるのは仕方がない事だとKも考えています。
女性の人権向上と言う事をKも考えてはいます。
しかし、男性と女性を「同じ人間」とするのがいいのか?
「同じ人間でも区別(差別ではなく)が適当」なのかは難しい問題だろうと思っています。
男性に「子供を産め」と求めてもこれは絶対に無理でしょう。これは、男女の平等は完全には不可能という事だろうと思っています。男性と女性は性が違うのです。
日本人として日本で育った人が「世界に出た場合」に日本語が世界共通言語ではないことが「ハンデ」になりますが、これを差別と取るのかは、色々と難しい問題だろうと思いますが、男性に生まれるのも女性に生まれるのも「運」という「パンドラの箱に押し込んで忘れてしまう事が幸福」なのかもしれません。
そう考えていけば「女性は女性としての幸福のあり方があり、それは男性の求める物と必ずしも一致しない」という考え方もできるでしょう。
同時に「それはとんでもない考え方だ」という考え方もあります。この差は「人間の価値観は基本的には同一」とするか「男女は別の性別であり、基本的には別の価値観がある」と見るかの差だと思います。
人生の幸福度は「笑っている時間の長さ」という考え方があります。
東京音頭さんの求める世界の先には「女性が笑える長さが長くなる」という確信があるのなら頑張ってください。
ただし「東京音頭さんの価値観」が「ある種の思想によって形成された、理屈によって作り上げられた物」という机上の空論的理想論である可能性もあるでしょう。
女性が男性と肩を並べて社会進出することが良い方向なのかは「よく考えて判断する必要がある」のだろうと考えています。
Kは前から主張していますが「男女に関係なく、政治に関心のない者の政治不参加権も考えよう」と思っています。「無理に投票率を上げる努力」は考え物です。
投票率の向上が正しい方向だというイメージがあれば「それを理由にした、投票依頼がしやすくなり、自分に都合の良い人の投票依頼になります。」
公明党のフレンドリー票は何かとんでもないノルマが課せられるそうですが、それが成り立つ土壌は「投票する事が正義」というイメージがあるという部分もあるでしょう。
自分が自分で判断し、自分の意思で政治参加しようと考えていない人には「政治に参加してもらわなくても良い」のだろうというのが持論です。