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(回答先: それも一つの考え方なのでしょうね。 投稿者 考察者K 日時 2006 年 1 月 13 日 20:56:17)
人を動かすのは、理屈じゃなく感情、ということはあるのでしょうね。
だからこそ、商品販売のイメージ戦略に女優さんを使ったりするのです。
でも、政治的な運動は、単なる消費行動とは違いますから、感情と同時に何かしら魅力的な理屈といったものも必要かもしれません。宗教関係の広告塔の人なんか、見方によっては、美貌、かつ口も立つといったところかもしれません。
しかし、マイノリティーの運動としてみれば、最も強いのは、我慢しないということではないでしょうか。もうこれ以上、我慢できないという感情。これでしょう。そこで以前は、マルクス主義や社会主義なんてものが跋扈していて、そうだ、そういう世の中を作るのは可能だ。だから我慢せずに戦おうとかなっていた。それから、権利意識みたいなの。これもそういうところがあった。でも今は、社会主義はすたれてしまって宗教ばやり。宗教の皆さんは、どちらかというと来世に極楽みているか、教主さまにおすがりするかだから、社会的運動をやってても、ちょっと違うみたいな。権利意識っていったって、これだけ様々な権利が乱立してれば。それに権利と権利の衝突と調整ということからいえば、権利は、マイノリティーだけのもんじゃないんだし。
デマゴギーっていうんですかね。ウソでもいいから扇情的にやるの。でも、ウソがばれたらがっくしだね。でも、選挙戦では、よく終盤に、こういうのがあるよね。ウソだって気がついたときには、選挙が終わってる。でも、4年後には、皆それでだまされたことを忘れてる。
・・・ということで、ここでもダベリで終わってしまいました。