★阿修羅♪ > 雑談専用16 > 747.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 社会全体です。 投稿者 東京音頭 日時 2006 年 1 月 13 日 12:43:32)
大学のミスコンなども、最近は単に美しさというだけではなくなりつつあるのではないでしょうか。知識や判断力、受け答えなど。
また、一部の若い女性は、もっと計算高くて、美しいからといってちやほやされるのは所詮、若いときの一時だけだということを知っている。だから、ちやほやされている間に、それを利用しながら、身をたてていけるだけの地位とか、人脈とか、特技、知恵などを貪欲に吸収していく。そして、そういう熱心さに、また男どもがほれこんでいく。
女性が美貌なら、男性は腕力。昔からK-1のような世界ってのはあったかもしれませんが、学園の男子ナンバーワンとかって必ず何かスポーツでも花形的存在だったりするかもしれません。
そこで、コンテスト以前のこうした異性間の評価のあり方に問題点を見出すのか。それを商業利用しようとすることに問題点を見出すのか。はたまたコンテスト自体に問題点を見出すのか。もちろん、それぞれがからみあっていて、麻薬のようにやればやるほど蔓延していくというものなのかもしれませんが。
まず、異性間の評価のあり方。これは、現実には千差万別であるはずなのですが、すでにマスコミを含むいろいろな影響で、一定の方向性というものはあるようです。
次に、商業利用。イメージ戦略。これは世界的に蔓延していて、中国でも超級女声を利用した商品販売がヒットしたようですし、北朝鮮じゃ喜び組でしたっけ。
それからコンテスト自体の是非。個人で、応募して企業主催コンテストに出るのは、個人の自由という感じがあふるでしょうが、社内コンテストとかやったら、ちょっと、コンテストに出ない女子社員とかいやかもしれません。小さな会社で、そんな提案をすれば、セクハラ扱いされるかも。もちろん、大学でも、女学生の中には嫌な気持ちになる子も出てくるでしょう。でも、一人ひとりの気持ちを考えていたら、人によって気持ちはいろいろだから、結局、何もできないかもしれない。
実は、単なるやり方の問題なのかもしれない。
・・すみません。ダベリでおわっちゃいました。