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昨年は「権威」という一種の幻想が崩壊した年だったのかもしれない。
最強の格闘技グレイシー柔術のホイス・グレイシーは、ほとんど素人の所英男氏に大苦戦して勝てなかった。所氏の身体能力は素晴らしいものがあるのは認められるが、今までならば「対戦そのものが組まれることはなかった」だろう。
ある意味では「所英男氏は運によって世界最強のグレイシー柔術に負けなかった男」になった訳である。
同じく、最強の素人ホビー・オロゴンは曙に勝った。ホビーは「お笑い系の番組」から実験的に生まれた素人格闘技家だったはずである。確かに身体能力は素晴らしい物を持ってはいるが、この対戦もまた「運によって実現した対決」であろう。ともかくホビーは「天下の横綱より強い格闘技者」に成長したのである。替わりに「元横綱の権威という物はほとんど価値を喪失した」とも言えるのだろう。
ミスターK1と言われたピーター・アーツもアーネスト・ホーストも敗れ去った。新旧交代と言えばそうも言えるだろうが、今までの価値観が崩壊しているのは間違いがない。
替わりに「神の子KIDは、本当に神の子のような雰囲気を感じさせ初めて、勝った」もちろん実力はあるのだろうが、同時に運が強いのも間違いはないのだろうと思う。
山本KIDは基本的にはボクサーのはずである。ボクサーとしての能力が高くても総合格闘技で勝つには「運と要素」も必要だろうと思うのである。
http://www.nikkansports.com/news/up/up1.html
と、格闘技を例にして話を進めてきたわけであるが、「権威の象徴であった。亀井静香氏もホリエモンに勝った物の辛勝であった。」し「多くの自民党の権威の象徴的な議員」が刺客小泉チルドレンに敗れ去ったのはそれほど昔のことではない。小泉チルドレンとよばれる議員は「普通なら、議員になれるはずはなかった人たち」だろうと思う。時代と運が結びついたことによって「議員」になれたのだろうと思う。実力という面だけで評価したならば、落選した議員の方が高いという場面もあるのだろうが、経験や実績、能力を超えて「運」が勝ったのだろうとも考えられる。
権威の崩壊の象徴とすると西武の堤氏の逮捕という事件もあった。古い価値観が通用しない時代は確実に到来しているのである。
今までは「有名な学校を優秀な成績で卒業し、公務員とか銀行員もしくは有名企業の社員になる」というのが、一番まともで外れが少ない人生設計だったのだろうと思う。しかし、今や、そこが一番見通しが立たないのだろうとも思う。というか、全ての企業はことごとく危ないのだろうと思う。全てにリスクがついて回っているのである。
確率論ではなく、運がその人の人生を決定するのである。優秀な成績で卒業して良いと思われる企業に就職しても、その企業は「未来があるとは限らない」のである。銀行ですら倒産するかもしれないのである。それらを全て見通せるような人間は多分いないのだろうと思う。場合によっては「何があっても大丈夫に見える企業が、大丈夫に見えるから、やっかみを受けた末に潰される」という事だってあり得るのである。例えば郵政民営化にはそのような面があったのだろうと思う。郵政公社は「税金補填は受けていなかったし、銀行職員に比べ、決して良い労働条件でもなかったはず」だろうと思う。
地方にある小さな地域銀行でも「職員は5人くらいは顔が見える」が「郵便局では3人程度しか顔が見えない」という場合が多いとKは思っている。それで、銀行よりも長い時間営業していて、なおかつ郵便と保険も扱っているのだから、銀行員より労働条件が良いとは考えられない。
ともかく、今年以降のトレンドは「運」になるのだろうと思う。