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今年の傾向で一番重要だったのは「日本人の言語能力の低下」であったという分析がある。
どうゆう事かというと、自分自身との対話すらできなくなっていると言うことである。
だれでも多少の不満や不安は持っている。しかし、それを表現できなくなってきているのである。
よく言われることに「切れた」とか「プッツンした」という物があるが、言葉で表現できないので「言葉による解決をあきらめ、暴力的手段に訴える」という傾向に「自分の思いを言語変換できない」という言語能力の低下を示していると言うことである。
小泉自民党が「郵政選挙で大勝利」となった背景には民主党の言語能力の無さが一因にあるという意見もある「日本をあきらめない」というものである。
このような象徴的な「言葉」では、今の日本人には「何が言いたいのか理解できない」のである。その点、小泉氏の「郵政民営化は改革の本丸だ!」は「内容はともかくとして、言葉は分かりやすい」逆に言えば、内容などどうでも良いのである。言葉が分かりやすければ、それを国民は支持するのである。
「自民党をぶっ壊す」自民党が壊れた後とか、次期政権とかは度外視して「言葉は分かりやすく、なんか期待できそう」である事は確かである。深く考えたりすれば「その時点で国民の意識から乖離してしまう」のである。
民主党はどうせなら「日本をあきらめよう」にした方がまだマシだったのだろう。多くの日本人が「あきらめている」のである。「なるようにしかならない」と思っているのである。何故そうなるのかと言えば「問題の解決をするための考察能力がないからである」
恐ろしいほど多くの人が、論理的思考と想像力を失ってしまっている。もしくは「現実の前に、能力を放棄している」のである。
明日、どうしても500円が必要だとして本日のお酒一杯もしくはタバコを買うのをやめれば良いのだろうが、なんとなくタバコも酒もやめないで、明日になってしまう。という国民が多いのだろうと思う。権利は考えるが義務は考えず、何の努力もせずに、回りが何とかしてくれるのを待つだけで、酒を飲みながら「テレビで野球を眺めているだけ」で満足しているので、向上心も何もなく「現実を享受するだけ」で思考停止に自らに足枷をしているのである。
その「現実は変化して、これからの生活は悪くなる」と言われても、単に聞き流して何も考えようとしないのである。「これからの生活は悪くなる」などという抽象的な言葉では「どう悪くなるのか想像ができない」のである。決定的に想像力が失われているのである。
で、「郵便局が無くなって、貯金すらできなくなる」と具体的な事を言っても、「仕方がない」とあきらめてしまうのである。どうすれば「その事態を避けられるのか?」という方法論も考えられなければ、考えようともしないのである。
「別に、こんな世の中で無理に生きていく必要もない」究極的には、そこに行き着いてしまうのである。多くの人が「ただ何となく、この世とつきあっている」だけなのである。努力とか考察力を駆使するくらいなら、無理に生きていくことを放棄したってかまわないのである。
と言うことで、ろくでもない意見を書いたところでKの17年の締めである。
皆さんにとって来年が良い年になる事を祈念している。