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どうやら、日本では全体的に「向上心が失われてしまったらしい」
多くの人が「下層階級に甘んじる社会となってきたようである」
「人様に恥ずかしくないように・・・」という感情が失われてしまい「自分は自分」として「回りに何も気を使わなくなってしまう傾向が多くなってきた」と言うことらしい。
「良い歳して定職もない」事も「良い歳なのに世帯も持っていなくても」全く恥と考えなくなってしまった。と言うのが、パラサイトシングルやニート・フリーターとして表れているという訳である。
一昔前とは価値観が変わってしまったのである。
日本の文明は「恥の文明」だったという分析を聞いたことがある。昔の武将は命より「恥」を重んじたという事もあるが「恥ずかしくない生を送る」と言うことが一種の人生の形成理念だった事はあるのだろうと思う。
しかし、今は「恥を恥としない」という価値観の変化によって「何となく、ダラダラと生きている」という人が多くの比率を占めている。ようである。
厳しい社会の中で「苦しんで良い生活をする」のより「楽してダラダラと生きられるだけ生きていく方が良い」という事である。仮に回りの者が「どう評価したところで、それによって直接的な問題はない」のであろうから、それは確かに一つの真理なのであろう。
で、だからどうした?と問われると返答にも困るのだが、この意識が拡大していくと社会の構造には変化が必要になるのだろうと思う。従来の社会制度は維持が難しくなるのだろうと思われる。
そこでの方法論は2つになる。
一つは「やる気の無い奴は切り捨てていく社会」
もう一つは「やる気のない奴でも、できる程度の仕事を作り、やる気がない者でもそれなりに社会に取り込もうとする社会」
である。
現在の流れは前者の流れである。実は資本主義というのは「社会が成長し続ける」事を前提にした体制なので、切り捨てる方向ならば「資本主義は見直さなければいけない」のである。成長経済において市場の縮小(人口が減少)になった場合。共食いから、自己内部を食うという事になるはずである。肉食竜が草食竜を食い尽くし、共食いから、最後には自分を食うという流れになるはずなのである。
では、後者にすれば資本主義にとって良いのか?と言えば、やる気のない事は「生産性の低下」と「競争力の低下」を招くので、弱肉強食の競争社会では「やる気のない者を囲い込むのもハンデになるだけ」である。
困ったモンである。