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(回答先: 確かに兵隊が戦場で何万殺そうが罪にはなりませんね。 投稿者 piyopiyo 日時 2005 年 12 月 27 日 00:00:19)
>piyopiyoさん どうもです。
Kが言いたかったのは「一般的な概念として悪と認識されていても、見方次第では常に悪とは言い切れない」と言うことですので、今回の表題が引き出せればOKと思っています。後は自然に気づいていくのだろうと思います。
ただ
>【必死で頑張った一円がたった一言で無に帰するのです。】
と
>【日ごろのこういった一円十銭を競うような企業努力を認めること】
という表現には色々な見方があります。
問題は何を必死で頑張って企業努力なのか?という事です。
原材料の流通経路を産地直送したならば「価格は抑えられます」しかし、それによって「中間業者は倒産・失業」となるでしょう。
人件費を必死に削るというリストラも「必死の企業努力」でしょう。
合理化をすれば「販売価格は下げられるかもしれません」しかし、多少下がったとしても「他社を追い落とすための出血販売でも無い限りは、原価以下にはできません」が倒産したり失業したら収入は無くなり、多少の安さでは追いつかないでしょう。
日本という国では「義理とか人情、しがらみ」と言った物が他国に比べて強かったという歴史があります。しかし、それは合理主義の前にいずれは消え去っていく方向でしょう。
時代の流れの中で、そこは仕方がないだろうとは思いますが「恩知らず、義理も人情もない者が成功者となる社会」が「良い社会」かは考えていく必要があるでしょう。
必要ならば「冷酷に親兄弟でも見捨てていく(ただし、法律の範囲内で行動する)」という者ばかりの社会が究極の合理主義的社会になるのでしょうが、そこまで行けば「人間はコンピューターに劣る」のでしょう。
しかし、確かに方向はそちらに向かっています。しかも、多くの人がそれを望み、その方向に期待してもいるのでしょう。