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老子の教えにある「理想の政治」では最上級の君子(為政者)は人民が「自然のまま」に安心して生活できるようにする人だという。つまり、本当に良い政治家とは「空気のように必要だが、存在を感じさせないような存在」と言うことである。
許可制というモノがある。それに違反したら罰則が待っている。
本来は人類がその歴史の中で発見した文化は「互いに自由に引用できる」のが人類のためには良いに決まっている。一人の思考能力には限界とか得手不得手もある。他の人の発見した手法とか考え方を引用すれば「より高度で役に立つ創造まで達する場合」も多いだろうと思う。
それを権利とかで規制して「何でもかんでもカネに結びつけようとするのが資本主義」である。引用するのなら「許可を得るため対価報酬を払え」となる。
肖像権というモノがある。これによって「写真家が撮影した芸術的な写真」も「写真家」と「被撮影者」の双方の承認がなければ使用はできなくなる。どちらか一方の承認を得るだけでは使用できないのである。結果的に文化は埋没してしまう事にもなる。
自分の権利に「際限なく対価報酬を求めようとする餓鬼道」が結局は自分たちのクビを絞めていくと言うこともある。それは資本主義への賛同になるからだ、本来なら「出世払いで良い」とか、仮に成功した場合「誰々の作品を参考にしたから、この作品が生まれました。私一人の力ではありません。誰々さんには感謝しています」の一言でも十分なモノを事前許可制に抵触するという事で「窃盗(しかも、何も被害がない)」になるならば、それは制度が狂っているのかもしれないと考えられるのだろうと思う。
しかし、議論の前段階で議論そのものを封殺しては、自分のクビを絞めているのと大差ないのではないだろうか?