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(回答先: Re: ドロボーのドロボーはドロボーだ。(きっこ流に) 投稿者 南青山 日時 2005 年 12 月 18 日 04:08:26)
今回問題を大きくしているのは、管理人さんへの削除依頼だけではなく投稿禁止依頼を同時に
要求されており、管理人さんをも巻き込んだ脅迫の運びとなった事でしょう。
この社会は360度の方向に、それぞれの分野の専門家がいるし、一つ一つが日々に切磋琢磨
新旧の抗争、派閥が生じまた分解してあらゆる問題がある。
投稿は、違った立場の人々が各立場からそれぞれの意見が述べられる事で、色んな事情を知る
ことができる。
投稿方法の多様性は、権力や法律の網で規制する前に人には様々な事情が存在している事もある
という事を想定してみないと片手落ちになる場合がある。
例えば、一般社会の中で異質な人物の現実的限界について考えてみると、誰でも普通にやれる
事が、何とかの天才にはそれが出来ないとか、なにげない常識が分かっていないとか、その分野を意識しないままに、知らずに専門畑に打ち込み過ぎていたりする。そのような社会的欠点なら気付きと努力で修復できる問題でしょう。
一つの事を成し遂げるには、一人の力では限界があっても、適材適所で協力しあうなら達成可能
な事も多いはずである。一つの力として完成していなければ社会的な価値を生み出すことは出来ないと思うので、一人に完全を求めてもムリな場合が多いでしょう。一人一人完成を目指すとしても、はじめから完成している人は居ないのであり、その途上という状態に配慮しながら社会は
対応していかないと人々は育たないでしょう。完成者はいまだ一人も存在していないのが実情です。完成者が存在していれば人類の平和な地球は実現している筈なのです。
発言は他の人に迷惑をかけない限り、自身を含めて参加者の皆さんが完成に向けて育つ方向へと努力しながら何か価値的なものを作り出す目的があれば、むやみに人を外す行為は誰の為にもならないと思うのです。体制側の大きな欠陥が、小異を捨てて大道に着くというもので、結果は財政は破綻し、国民の福祉が削りに削られるという国民にとっては貧しい政治の現実になっています。
国民のためには貧しい政治権力。これを知的エリート層が担ぎ上げ、法律の力を利用し 国民の将来性ある能力を排除していく姿には、進む方向が違っていますよと教えてあげたいものです。
同じ感覚、同じ意見の人達だけで運営して行こうとすれば、そこから真に社会に必要とされる価値的なものは生まれてくる筈もないし、その結果は事業経営に繋がる要素もなくなるという事でしょう。著作権も社会的な価値に対して与えられる権利であり、著作者として守られる為には価値的なものとして産み出す生産の基盤というものが必要なんだろうと考えています。