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(回答先: 元々は別個のモノではない 投稿者 膝枕 日時 2005 年 12 月 16 日 15:36:55)
膝枕さんのみならず、デラシネさんまでとは!そして、お話の極平凡な女性も。
昔読んだスウェーデンボルグの中に、霊界の結婚というのがありました。二つの霊が合体する事象です。ご存知かもしれませんが。その場合は、一方の霊が他方の霊の中に入り込んでしまうのでした。霊界でも極稀な事件で、他の多くの霊の祝福と尊敬を受けるとかいう話でした。
この世で、相手の身体の中に入り込んでしまう事は無理でしょうが、その代わりに心が融合するのでしょうか。身体の分離故の心の融合ですね。
………「ほんまかいな?」と思う人が大半でしょうけど、こういう話は結構有ります。こんな極端でないにしろ、出会いをあとから振り返ってみると偶然以上のとても有り得ない確率を感じることも多いものです。いずれにせよ、心の曇った人というのは感受性も鈍く、同じような鈍感な人としか出会えないということは間違いないでしょう。運命の出会いが出来る人は「この人こそ出会うべき人」と心が分かるといいます。結局は出会いの機会ではなく、心が「わかる」という状態にあるかどうか?ということなんでしょう。………
何気ない奇跡とでも言うのでしょうか。心の曇った者は哲学者になるしかないという事ですね。
………この殺伐たる外なる世界も一つの虚像に過ぎないという指摘は先人の多くがしていることで、私も同様な認識でいます。その虚像も元は心の世界に繋がっているわけで、外の世界を変えるには革命などという方式ではなく、心の世界から変えるのが正しいと思います。とはいえ、その具体的な方法論は?と問われた時、「こうなんです」と示せるほど簡単ではありません。ただ、言えるのは「愛」というのがキーワードであることは間違いが無い。………
革命こそ、虚像たる世界に顕現する心の真実であるという意味で、“…「愛」というのがキーワードであることは間違いが無い…”でしょう。往々にして其のキーワードは置き去りにされるのですが、しかし、そこにドラマが生まれ、何事かが付け加えられるものと思います。
………何かを判断し最善の選択をするには「知性」が必要です。ところが我々人間というものは人生の岐路に立った時、知性でのみ判断しているかというと大半は好き嫌いなどの感情です。つまり理屈ではない判断です。とくに恋愛などの人間関係では「裕福か、将来性は、遺伝子は、姿形は、性格は良いか」など理性で判断しても最善の選択とはなりえません。………
どの映画ということはないのですが、二人の人間が別々の道を辿ろうとする其の分かれ道で、強い握手や暖かい抱擁、あるいは深い眼差しを交わす場面が時折見られます。選択は異なっても、理性はそこに良し悪しの区別を立てません。役割は違っても、人としての信頼は揺るぎないからです。
別離は、辛く悲しいものですが、必要なものなのでしょう。より良い出会いのためにです。