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(回答先: 元々は別個のモノではない 投稿者 膝枕 日時 2005 年 12 月 16 日 15:36:55)
小生も膝枕さん同様、"魂の伴侶"と一緒になりました。
あまりにも"現実離れ"した状況下でね。
だって"共通言語"のない男と女が、出会ってから1ヵ月かそこらでひとつ屋根の下に暮らし始めるなんて、考えられますか?(笑)
あの頃お互いどうやって意思疎通をしていたのか、二人とも完璧に覚えていない。(爆)
●魂同士の認識が、瞬間的に起こることもある。突然、親しみの感情が湧きあがってくる。意識のレベルの計り知れない深い場所で、今、出会ったばかりの人を知っているという気がする。最も親密な家族に対するものと同じ深さか、さもなければ、それよりも、ずっと深いところで感じる感覚だ。そして直観的に、何を言えばよいか、相手がどう反応するかも知っている。一日、いや一週間、または一カ月で獲得できるより、ずっと深い信頼と安心が一瞬のうちに生まれる。
じっさい、これが最も端的な表現ですね。
正直、我々に「言葉は必要なかった」です。
むしろ共通言語を獲得するに従って、夫婦喧嘩も増えていった。(爆)
「ほんまかいな?」と思う人が大半でしょうけど、こういう話は結構有ります。こんな極端でないにしろ、出会いをあとから振り返ってみると偶然以上のとても有り得ない確率を感じることも多いものです。いずれにせよ、心の曇った人というのは感受性も鈍く、同じような鈍感な人としか出会えないということは間違いないでしょう。運命の出会いが出来る人は「この人こそ出会うべき人」と心が分かるといいます。結局は出会いの機会ではなく、心が「わかる」という状態にあるかどうか?ということなんでしょう。
そうとしか言い様がありません。