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(回答先: 自らの座標軸を持つことでしょう。 投稿者 如往 日時 2005 年 12 月 13 日 00:41:42)
如往さん、どうもです。
全く、惜しい奴に往かれてしまいました(笑)。その座標軸というテーブルをひっくり返して。さわやかです。
仰るとおり彼岸から受けとめようとしたことはその通りです。仮に設定した座標軸までも見抜かれていたみたいですね。というか隠してもいませんが。
如往さんとの対話はどの様な結末になるのか。
>おそらく日さんが「思考」に纏わるBBさんの考察についてその趣旨を受け容れられているように、私にとっても肯けるところが多いものでした。「思考」が仮構の連関を表象するような捉えどころがないものであるならば、人は何らかの座標軸のようなものを設営しなければ己の立つ位置を確認することができず、無辺際の不安の中におかれることになるでしょう。
しかしその止め処も無い思考であっても、現世に肉身を移しているからこそ可能な行為ですから、まだ救いがあります。
肉体を離れた霊魂となった時を想定してみてください。
時空の縛りから解き放たれ、思考する間も無く、自己が現世で血肉としたイメージの投影を不断連鎖で果てしなく現出させる世界となるはずです。
思考しようにもその時間的余裕は与えられず、現世での認識経験に基づく条件手順を源泉とするイメージのみが間髪入れずに襲ってくる。それが霊界といういわば自己のレベルで映し出される真澄の鏡の世界ではないでしょうか。その意識を相容る者同志で造り合う並行世界でもあります。
となれば、次は草薙の剣。
>しかし、テーマは同じであってもこれは極々個人的な当為に帰せられるべきもので、互いに他者同士が介入でき得ぬという側面があります。
その相容れぬ当為に割って入る両刃の剣。これこそ現世で振るわねば意味がありません。