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(回答先: 如往さん、レスありがとうございます。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 12 月 07 日 22:39:55)
ワヤクチャさん、こんにちは、レスをありがとうございます。
ここ阿修羅でも社会的諸問題の包括的な考察や分析は、あっしらさんをはじめ多くの論客によって深化して来ていると考えています。そして、一部ではすでにアクションのためのベクトルを設定しようとする段階にまで達していると想われます。もちろん、実際にアクションを起すか否かは各人の裁量に委ねられるべきものでしょう。しかし、絶えず自問が繰り返されるのは問題解決の主体性を如何に把捉し継続していくかということではないでしょうか。
そこでは最早問題の解決の方向を探ることではなくて、問題に取り組む主体を形成することが課題として現出してくる筈です。すなわち、匿名性極まりない需要を特定して制御するために不特定なる消費者を纏め上げて如何に問題解決の駆動力として再構成するかが具体的なテーマになってくると想われます。先ずはそのような観点に至った中で下記に挙げた荒岱介氏の認識を私自身も共有していますが、おそらくあっしらさんもこれまでの言説から推察するに、限りなく近接した認識を土台にして論理を展開されていると考えています。
『近代の超克論者 廣松渉理解』出版記念講演(上)
結局、神学と科学主義をこえられなかった左翼
http://www.bund.org/opinion/20050125-1.htm
『近代の超克論者 廣松渉理解』出版記念講演(下)
生物種としての人間から考える進化論的視点
http://www.bund.org/opinion/20050205-1.htm
>何が肝心な問題かを最初に議論した方が効率的かも知れません。
私はここ2,3年は「人類の自己家畜化現象の進行」を問題と捉え、それに抗うこと、すなわち人間が自ら奴隷化することを防ぐための方策を模索しています。生産手段を所有しないことは奴隷であることと同義ですから、直截に申せば奴隷状態からの解放は生産手段を所有することにより現実化することになるでしょう。
そして、近代世界の只中にある人間にとって「自由」とは「自在(性)」=“自己が在る状態”を担保していこうとする当為と捉えていますが、担保していく場合には生産手段の所有がその拠り処となり得ます。以前にも述べましたように、私は、宗教や偏狭な圧力団体の力を頼みにしないのならば、変革の駆動力の基盤構築に資するためには労働者(生産主体)による生産手段の所有(領有)の状態が生み出されることが肝要であると考えています。
(蛇足になるかも知れませんし、多分阿修羅ではhouさんあたりが詳しいのでしょうが、マーケティング論の用語に「計画的陳腐化」があります。例えば、耐用年数が10年以上の自動車タイヤの製造が技術的には可能なのに、販売戦略的(意図的・計画的)に耐用年数5年位におさえることを意味します。無論、5年以内に買い替えるといった消費者動向の読みも算入され、時には消費者の買い控えや環境問題指数等がフィードバックされ生産調整がされることはあっても、供給が需要をコントロールしていることには変わりなく、主に耐久消費財では日常的に行われています。)
また、会いましょう。