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(回答先: 「渓流で吊り上げたアマゴ」・・・の解説(笑) 投稿者 膝枕 日時 2005 年 12 月 07 日 12:34:49)
膝枕さんへ。
>話が合いそうだなBBさんとは。
もし膝枕さんが、もっと深く掘り下げていかれるとしたら、さらに凄まじい人間存在の悲惨さを知るかもしれません(笑)。
>問題はこの御釈迦様の「魂胆」が何か?ということだ。
精神世界における模範的な解答としては、「自分を知るため」というのがあります。それは、個もすべては全体という神から成り立っており、神が自分を知るために分離して、無数に、無制限に、多角的に、αからΩまで色々な体験をして、自分は何者かを知ろうとしているというものです。
それなら、なぜ自分を知ろうとするのか?と問えば、神の暇つぶしとか、知るという情熱が起こるからとか、進化のためとか、色々と出てはきますが、極論的には、結局なぜそれらは起こる(必要がある)のか?という質問には答えることはできません。
それは、宇宙(神)が、「知りたい病」という精神病にかかっているとしか思えません。その結果が、さんざん苦を体験し尽くすという無限地獄に近い様相を呈しているといっても過言ではありません。
「神の唯一の失敗は、世界を創りあげたことだ」とか「世界とは不調和そのものだ」というようなことを誰かが言っておりましたが、実はその通りなのかもしれないとさえ思うようにもなります。
そしてブッダに言わせれば、この世界から抜け出すための中継点が「光明」であり、完全に抜け出ることが「解脱」ということなのでしょう。ただ世界から完全に抜け出ること(解脱)が可能かどうかは、解脱したと想定される人間が、解脱すればすでにこの世界にいなくなるため、その存在もその状態も何もないただの想像でしかないというのが現状ではあります。「光明」すらもただの精神病といえばそれまでなのでしょう。
ただ、宇宙(世界)は、それ(解脱や光明の状態)を良しとは認めておらず、巧妙にも、それを望んでもそれはできないシステムを人間に施しているのが現状なのだと思います。
また、話は逸れますが、マトリクスを引き合いに出されておりましたが、精神世界にずっぽり嵌まり、さらに大きな視野で、それを見ることができた時、人間存在はまさにマトリクスのような家畜の状態に存在していると感じる瞬間があります。その真実は、宇宙的規模の制約?によりかなり巧妙にカモフラージュされてはおりますが、いずれ知る人間(言い出す人間)は増えてくると思っております。バシャールにも、神との対話にも、ラムサにも、日月神示(たぶん)にも、ロバートモンローにも、そのほかにも、それはさりげなく見てとれます。(他に目が移り、よほどのことが無い限り見抜けないですが)
ただそれを精神世界のように、また一つのブームとして盛り上げていくような風潮になり、そしてまた宇宙に家畜として貢献していくという循環にしかならないとは思っておりますが(笑)。
どちらにせよ、自分自身の世界観としては、実在ではない夢の世界をどんどん膨らませているのが現状だとも、思ってはおりますが・・・。
・・・と、かなりトンデモに話が飛び、無責任にもこの辺りで、この手の話は終了にします。。。(笑)
>哺乳類の肉はほとんど食べない私、魚貝類は多くは無いけれど食べます。極めて小食だけど・・・。
俺は、肉も魚も食べます。今日はたまたま、生きたロブスターを水槽の中から選んで調理してもらい食べました。