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日本人は「組織依存体質が強い」これは間違いないだろう。
Kは「組織依存=悪」とは思わないが、組織=個人軽視の傾向は間違いなくある。
個人を軽視する組織に依存するのは「本末転倒」であり「思考能力が無い」とも考えられる。
「組織ではなく、組織に属する仲間との連帯に依存する」のだろう。と言う考えは多分あり、それは一定の理を有するだろうと思う。しかし、仮に組織と敵対関係になった時、その仲間が「自分の味方になってくれるか、組織の方に肩入れするかはかなりあやしい」と思われる。結局は最終的には「自分ひとりがいかに頑張れるか?」になるのだとすれば、友情とか連帯感とかは「幻想のヒューマニズム」とも考えられる。社会規律を守るための一種の方便であり、刷り込まれた価値観と言う事である。
上記の考察は悲しいが完全な間違いだとは言えないだろう。そこに「日本の問題点の元凶がある」とKは考える。
明智光秀の例を見ても分かるように「日本人は組織(もしくは主、仲間)への裏切り行為」を極端に嫌う。姉歯建築士の欠陥マンション問題にも手がかりがあるが、組織依存体質が「悪を囲い込む」のである。
多分、今度の事件の関係者の多くが「これは悪い事だ」と思った事だろう。しかし、告発は遅れた。「遅れたのは告発したって、良い事は何もない」という日本の社会体制に問題があるのだ。とKは考える。前に「NHKで勇気有る内部告発があった」しかし「散々に酷評され忘れ去られた」とも評価できるだろう。
「日本では勇気ある行動が評価されない」という雰囲気が蔓延している。組織を裏切るような行為を「正義感」から行なっても、それは「今までの生活基盤とも言える組織を敵に回すだけで、それに対応するような利点は無い」のである。
ここを評価できない日本人の価値観は腐っていると考えられる。小泉氏の独裁手法に反対して「郵政民営化に反対した議員」を見捨てる国民性である限り、日本には「馬鹿と小利口しかいない」と言われても仕方が無いのだろう。
論理的考察が欠如しているのである。短期間的損得勘定しかできないのである。
日本人は批判されると怒る傾向が強い。それが理由の示されない「誹謗中傷」ならばそれは理解できる。しかし、理由を示した上で「欠陥点の指摘」であるならば「それは、謙虚に考えるべき」なのである。批判と誹謗中傷の区別が付かないから「論理的思考力が無い」のである。
経団連の奥田会長など数名の人がKと同じような「幻想の景気回復に問題提起を始めている」少し思考力があるならば「この危機」は理解できるはずである。しかし、それでも、危機感を持たない「庶民の方が多いのだろう」とKは思う。それが【今の日本の実力】なのだろう。