★阿修羅♪ > 雑談専用16 > 268.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
株価が上がることによって、景気が良くなったとしても、それが継続するのならば「それはそれで良い。要は結果であり、手法が気に入らないのは個人の主観であり、手法はどうであっても、景気が良くなれば良い」という考えは成り立つと思われる人は居るだろう。
しかし、今回の場合はその考えは成立しないだろうとKは思う。何故ならば、前から主張しているが「汗水たらして働く労働者より、他人の労働報酬を詐取するマーネーゲーマーが良い目を見る社会では、明日がない」からである。
片や朝から晩まで「過労死になるくらいまで過密長時間労働を行って、やっと生活ができるくらいの賃金を得、片や株の売り買いをしているだけで成功すれば短期間で一般的賃金労働者の生涯賃金以上の富を得る」のだとすれば、誰も賃金労働者や第一次産業生産者などには振り向かなくなる。
とりあえず、昨年までの自殺者は数年連続で3万人オーバーである。これは「それくらい、職場で働くのは大変になってきている」と言う事である。誰でも「死ぬくらいだったら仕事を辞めれば良かった」と言う。Kもそう思う。しかし、最終段階まで行ってしまうと「そんな簡単な事も判断できないくらい精神が参ってしまう」のも確かである。
現在の職場は余剰人員がほとんど無い。個人の突発的休暇や退職は「今まで共にがんばってきた仲間に多大な迷惑をかける事になる」それが「ドライな個人的決断に待ったをかける」のである。真面目なもの誠実なものほど、このトラップ構造に捕われてしまう。ここでは「本当の敵を見極めるべき」なのだが、真面目なものは「自分の弱さが一番の敵」として、全てを抱え込んでしまう。この時点で「潜在的鬱病ウイルス」に犯されている。後は発病するかどうかだけだと言える。
本当の敵を見誤る例も多い。職場の同僚、職場の上司、家庭の家族などに矛先を向ける人も多い。更には公務員に対しても厳しい目を向ける。例外はあるかもしれないが、その中には本当の敵は存在しないのだろうとKは思う。社会が悪いと言う面はある。しかし、それは抽象的である。日本全体では貿易黒字であり、日本のGDPは決して低くは無い。
その中で「暮らしが悪くなっていく」のだから「敵は居る」それは「他人の生産した価値を不当に詐取する者たちである」
Kに言わせれば「どんなに悪い高級官僚よりマネーゲーマーの方が悪い」と思う。しかし、彼らはリスクを取って、賭けに出ているのであり、そのような意味では彼らにも「悪はあっても罪は無い」彼らは「そのような人生を選んだだけであり、どのような人生を選択しようとも、それは個人の自由である」との考えは正しい面もある。ここに大きな問題がある。それはシステムの問題である。「マネーゲーマーが存在できる社会システムが本当の敵」である。
パチンコ・競馬・競輪・競艇・賭博と言うのは一般通念上は「あまり良い事」というイメージを持っている人は少ないだろうと思う。しかし、これらは「参加者が納得の上で参加して、自分の資産の一部を供出し、その範囲までは負ける事はある事を条件に勝つこともある」というギャンブルである。その意味では「どこまで負けるのか分からない麻雀の方が怖い」のだが、今回は、マネーゲームについてである。いわゆる証券投資だってギャンブルの一種である。しかし、非常にタチが悪いのは「本人の同意もなしに社会全体が参加させられている」というギャンブルである。
俺は参加していない。と言う人はいるだろう。しかし、企業の賃金労働者ならば、本来は給与として職員に分配されている部分が、株価の配当に回されたりしているのである。
そこには「職員の選択権は無いが、仮にその方針が成功すれば、いずれは給与に還元される可能性はある」と言う意味において「強制的に参加させられている」のである。
これは逆に言うと「変に業績を上げるより。重要な戦略にもなり得るのである。」
中間期決算において「郵政公社はトヨタ以上の収益を上げた」そうであるが、これは郵政公社の業務ではあり得ない事である。あり得ない事がなぜ起こったか?郵政公社が持っていた証券の価値が上がったのである。しかし、裏を返せば「証券の価値次第では、民間企業なら一気に倒産」も有得る訳である。仮に郵政公社が民営化後「所有株の暴落等があったとして10兆円とかの単位で大赤字を出したとすれば、小泉総理の約束が果たされるなら、それは国民へ跳ね返ってくるしかないのである。」
おそらくだが、政府は政策として「貯蓄」から「投資」への誘導を行い。それによって市場の活性化をしようとしている。そのためには「給与収入+貯蓄」という従来の保守的手法では「実質的に資産が目減りしていく」という辺りまでは緊縮財政を続けるのだろうと思われる。
「このままではジリ貧」と多くの人が投資市場に参入するのを期待しているのだろう。
しかし、そうなったら、誰が生産性の有る仕事をすると言うのだろう?
誰だって3Kの仕事よりは3高の方が良いと思っている。
3Kの仕事に疲れた人は「3高の賭けに出て失敗したら自殺でも良い」と考える人も居るだろう。現にニートやフリーターという「明日の準備を考えていないかのような人」は増えているのである。その数は失業者の2倍に達しているとも言う。それが失業率に反映されるなら「日本の失業率は10%を超えている」とも言えるのである。不景気を通り越して恐慌のレベルの失業率である。
いずれにしても、投資で生活が成り立つのなら、誰も「厳しい仕事などしなくなる」当面は中国市場開放であり、その後はインドとベトナムまでは「何とかなる」かもしれないが、そこまでである。後は「生産能力の無い、食料自給率の無い島国」が残る事になる。
小泉路線は日本を亡国へと誘う路線だろうと思う。
で、多分もう駄目だろうと思う。手遅れであり、これからは滅ぶまでの一時の快楽に明日の不安を忘れるのが正しいのかもしれない。