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(回答先: アパートでちいさな農業 投稿者 愚民党 日時 2005 年 12 月 02 日 08:00:12)
愚民党さんへ。
俺は方言といえば、名古屋弁しかできニャーし、名古屋弁すらも最近は忘れてしまっとって、書くのにどえりゃー苦労してまうでかんので、やっぱ普通に書きます。。。
俺は野菜や果物は食べますが、人工的に栽培する気には、なぜかなれません。
種を撒いて生まれて来る野菜や果物の運命(生の動機)は、やはり食べられる為に生まれさせられたのであって、家畜のように管理され、無駄な部分は抜き取られ、時には農薬を撒かれ、生まれた子供(果実)は毟り取られ、そして根こそぎ食べられ、殺されます。食べられるところはまだしも、食べられない部分に至っては、ただ処分されるだけ。
それでも自然を愛しているなどと言って、どんどん無常にも人間は種を蒔き続ける。
もし俺が野菜だったとしたら、「人間よ舐めるなよ!」と言って、反乱を起こすかもしません。具体的には、実(子供)を生まない。できるだけ栄養分を吸収せずに育たない。他の野菜や食物に、恐ろしき末路(運命)を伝達する方法を考える。(伝達は可能だろう)。
そして、「なぜお前は種を撒いたんだ」と、人間に問い詰め、自分が死ぬことだけを考えるか、人間からの脱出(自立への道)だけを考えるでしょう。たぶん死ぬ事も脱出することもできず、ただ苦悩だけが襲う。
だから、種を撒いて野菜や果物を育てるのは、人間が生きる為に必要なのであって、それはつまり人間のエゴであって、野菜や果物に対しては、ただただ合掌でしかなく、ましてや趣味とか自然に帰るためとか育てる楽しみという理由で種を撒くということには、どこか自然を見下したような、感じを憶えてしまいます。
・・と、別に皆さんが悪いことをやっているという認識ではありませんが・・・。