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(回答先: 貧しいが故に相撲で身を立てるという成功物語は感動を与えている。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 11 月 27 日 11:45:10)
ワヤクチャさん、どうもです。
>故国に帰れば英雄であり、少年達の希望でしょう。
相撲協会のサイトを見ていたら、テレビでは小さく見える朝青龍が185cm、ほっそりしているので目立ちませんが、琴欧州は204cmです。
モンゴル相撲で鍛え、高校生から名門校に留学していた朝青龍は別として、ワヤクチャさんが「相撲は実に単純な競技であり(相手を土俵の外に出すか倒したダケで勝ちなんて勝負が早いね。)世界に広がる可能性大だ」と書かれている通り、体力、やる気、根性、そして運動神経(最近は身体能力)さえあれば、野球や卓球のように小さい頃から特別の訓練を受けていなくても、トップをめざすことができる数少ないプロスポーツの1つですね。
>しかし、餓死者も続出している世界でたらふく食っている関取という存在そのものがどこにでも受け入れられるワケでは無いか?
小生は新国劇ファンで、中でも新国劇十八番中の「男の花道」と「一本刀土俵入り」がお気に入りですが、「一本刀〜」では貧しい農家の生まれで、巨漢、大食しか能のない子供が、好きなだけ食べることができる相撲部屋へ送り出された駒形茂兵衛が主人公です。
最速で大関になるだろう琴欧州も(最近人気が出てきたのでたまに故郷の一家の暮らしぶりが紹介されます)、たぶん駒形茂兵衛と同じく、巨漢、大食くらいしか能のない子供だったのではないでしょうか。
相撲部屋の親方がそうした国しかまわっていないということでもないでしょうが、いわゆる西洋、欧米中心主義ではなく、マイノリティの国家・地域出身者を受け入れる度量の深さの源泉がどこにあるのか、門外漢の興味を大いにそそるところです。
「一本刀土俵入り」を見ていると、また日本の芸能史を見ていると、もともとマイノリティ、周縁の人々を受け入れる土壌があったのではと推測しますが、相撲の文化史的にはどうなのか、興味のあるところです。