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(回答先: 皇太子の美智子との結婚式、なんすてみな慶んでただかなあ。 投稿者 竹中半兵衛 日時 2006 年 2 月 28 日 23:51:25)
半兵衛さん、オッス(これって若いころオレらは挨拶代わりによくいったもんだ)。
あの少年のことを、よく週刊誌が特集する「あの人は今」的な記事でだが、そんな風に伝えていた。少年の談話も載っていたが詳しくは覚えていない。オレより少し年上だったかな。
あやつが馬車に飛び移った瞬間、テレビを見てオレはおまわず、「いいぞ、やれ」だか「やってしまえ」とか叫んでしまった。近所の比較的裕福な家でオトナにまじって「ご成婚」中継をみていたものだから、オレはその後、オトナから「アカイ子」と言われるようになってしまった。まだ高校生にはなっていなかった。60年安保のデモに行ったのが高校生の時だったから。(なんか「オールウェイズ 3丁目の夕日」みたいな光景)
半兵衛さん、「鐘の鳴る丘」や「紅孔雀」もなつかしいけど、「君の名」も何ともいえんね。
「忘却とは忘れ去ることなり 忘れ得ずして忘却を誓う心のかなしさよ」のナレーションで始まるあの番組。
それから「岸壁の母」=舞鶴に着く外地からの引き揚げ船・興安丸の乗船者名を伝えるラジオ番組なんかも。ラジオからは津村謙が歌う「上海帰りのリル 」がよく聞こえてきた。
♪船を見つめていた ♪ハマのキャバレーにいた ♪風の噂はリル ♪上海帰りのリル リル
なんて。
貧しく辛い生活ばかりが続いていたみたいだが、時には楽しいこともあった。ある日、ハーモニカ長屋で隣に住む大工さんが、オレを面白いところに連れて行ってくれた。
環状線の天満駅近くの「天満座」だ。ここは戦後、ドサマワリ専門の芝居小屋だったんだが、オレが10歳ぐらいの時にストリップ小屋に変わっていた。今も多分あるだろう。ここにはまだ名前が余り売れていないころの「大江美智子一座」も興業をうったことがある。
手短に言うと、その大工さんはオレを映画に連れて行ったことにして、嫁さんに内緒にストリップを見るという寸法だ。オレをストリップに連れて行ったのはアリバイ工作、というわけ。おかげでおれはガキの頃からストリップを観賞。言っとくけど今みたいに過激なものではなかったけどね。お駄賃ももらえたし、なかなか良いアルバイトだった。
近所の質屋の店番もよくやって駄賃をもらったよ。店屋のワカボン(バカボンかもしれん)がパチンコをしたさに、オレに店番をよく頼むんだ。オレはただ「主がちょっと出かけていますので、しばらくしてからまたお越しください」と言うだけなんだが、これで駄賃が稼げるんだからうれしかったよ。
このバカボンは次の本で紹介されている事件で、犯人のピストル強盗・権善五を阪急淡路駅近くの路地裏に追いつめ、警官と協力して捕まえたんだ。
H960 追跡調査 並¥1500
西川武男 サンケイ S41 カ少破れ
●大阪・北浜の東海銀行を襲撃した “権善五事件”
(http://www.d2.dion.ne.jp/~hen/newpage003.html)
たくさんの取材陣がこの時この質屋に押しかけて大変な騒動だった。この時犯人はオレの住んでいた近くを逃走経路にしたもんだから、ついでにピストルの発射音までオレは聞いてしまったんだ。日本最初のピストル金融強盗は、タクシー運転手と警官など2、3人を殺害して捕まった。路地でつかまったのは弾が尽きたからなんだ。質屋のバカボンは「奴の頭をれんがでどついたった」とよく自慢していた。今どこでどうしているんだろうな。
今は大都会の過疎化が進んで、オレが少年時代を送った大阪駅界隈やその周辺はもう余り人は住んでいない。まったくのビル街だ。オレの通った小学校も中学校ももう廃校となった。高校だけが十三の「逆さクラゲ」マークが林立する教育環境最悪の地にあるばかりとなっっている。
以上 gataro の「徒然なるままに」でした。