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物事を知らないということが「恥」でなくなってしまった、とおもう。
かって、「この名著を読んでいない」ということに、何か後ろめたいような気がした、友人たちの軽蔑したまなざしを甘受せざるを得なかったことを今でも、覚えている。
世が変わり、かってサブカルチャーであった、マンガは本カルチャーに「昇格し」、それにつれ、マンガのような人たちが、世を仕切るようになってしまった。
大臣が、マンガしか読んでいないということを「豪語する」文化国家では、
「無知の傲慢」、そして「無知を傲慢で隠す言論」がテレビ、ネット間を我が物顔に跋扈している 「理性的な思考」なり、「熟慮した言論」が少数派になり、¨
人が人であるために、根源的に内在してしかるべき、「自由」なり、「平和」なりを語ることは、「変人の仕業」と見られているのではないかと思われるほどである。
為政者にとって、国民が、多少愚か、であるほうが都合が良いのは言うまでもない、だから、テレビ等で、盛んに愚民政策を推進させ、おばか番組は、規制せず、良心的な番組には、たまに、「検閲のようなもの」を行使して、製作者の自主規制心を刺激してやればいい、そうすれば彼らは当たり障りのないものを造る。
元来、そのような愚民政策は民主国家においてあってはならないことはいうまでもない。
しかし現在は、その政策としての愚民化政策が制御不能に陥り、国を傾けるほどになってしまったというべきではないだろうか、つまり本当に国民が馬鹿になってしまったのではないかということ。
かって、ローマには、「民衆には、サーカスを与えておけばいい」、という為政者の知恵があった。
今では、為政者は国民に、「これだけだよっ」といって与えてくれる自由は、
はくち番組をまねして、「ところかまわず、騒ぎ立てる自由」 「ポルノ消費の自由」、日産かトヨタの車か、「ブランド選択の自由」「おいしいものを食べる自由」「アルコール消費の自由、飲んだくれる自由」。。
あとは、被雇用者として、仕事をしてもらい、税金納めて、
右を向けといえば、右を向き、左を向けば、左を向き、これがブームだといえばそれに乗ってくれるような、つまり、「儲けさせてくれればいい」、
そしていざとなりゃ、戦争に行ってくれ。
そんな、「期待される人間(ゾンビ)像」を想像してしまう。
ゾンビ国家の形成というのはあながち誇張ではない、これからは「人とゾンビの戦い」になるのかもしれない。
そんな妄想にふけった。