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「戦前責任」といま
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-208.html から転載。
華氏451度さんが、
ひそかに「戦前責任」を感じるすべての友人達へ
と題する記事を書いている。
ぜひ多くの人に読んでもらいたいものだ。
小生も拙論
>「多喜二の時代といま」でふれたが、いまと1930年代の日本はある意味非常に似ている。
もちろんあのころとは違うくらい、個人と民主主義が進歩していると信じたい。
だが、今井くんたちにたいする「顔なし」たちの悪意に満ちた罵倒、
先の総選挙での「郵便局員は特権階級だ」との和製ヒトラーのアジテーションにのった「有権者たち」など
をみていると「現代ファシズム形成史を実体験しているような気がします」との指摘もあながち外れていないような気がする。
「考えすぎではないか?」との意見もわからないではない。
だが、先の戦争もそうだったのだ。
満州事変や日中戦争のときも「銃後」の国内では閉そく感はあったものの、偏狂な排外主義にのせられて朝鮮人や中国人、「非国民」とよんだ人たちをイジメ、「うさ」をはらしていたのだ。
戦中日記を読むと太平洋戦争のまっただなかにあってさえ、すくなくない庶民が疑問に気づき始めたのはやっと昭和20年に入ってからだった。だが、そのときには手遅れだったのである。
よく引用される言葉にドイツの牧師だったマルティン・ニーメラーの言葉がある。
------(引用開始)--------
ナチスが共産主義者を襲ったとき、私はやや不安になった。
けれども私は共産主義者ではなかったので何もしなかった。
それからナチスは社会主義者を攻撃した。
不安は増したけれど、私は社会主義者ではなかったので、やはり何もしなかった。
それから学校が、新聞が、ユダヤ教徒が、つぎつぎと攻撃され、
そのたびに私の不安はつのったが、なおも何もしなかった。
やがてナチスは教会を攻撃した。
私は教会の人間であったから立ち上がった。
しかし、そのときにはすでに手遅れであった。
-------(引用終わり)-------
これを読むとき、われわれは「共産党は大戦を阻止出来ませんでした…歴史の事実は抵抗運動で侵略戦争を阻止できなかったのです。残念ながら」と、先の「戦前責任」を評論家的に論じるのではなく、いま「何をなすべきか」を先の「戦前責任」からも真剣に学んで、手遅れにならないうちにはっきりと行動をおこしておきたいのである。
きょうは2月25日。
いまから70年前のいま、東京は24日から降り出した雪が止まず、30年ぶりと言う大雪だった。
そのなかで「昭和維新」をめざす青年将校たちは、準備をととのえ決起予定時刻の26日午前5時をまっていた。