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(回答先: 社会主義とは何か?(あっしらさんへのレスです。) 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 11 月 20 日 23:23:46)
ワヤクチャさん、こんにちは、横レスにて失礼します。
これは下の方のレスに一部字句の訂正と共に加筆・編集し直したもので内容は重複しますが、ご笑覧ください。尚、あっしらさんには割り込みになりましたことをお詫びいたします。
さて、あっしらさんが改良主義者と認定(?)するとき、必ずやその背景には社会主義の思想的営為に関する考察があると想っています。それ故、改良主義が結局は体制側(反動)の存続論理に絡めとられていった歴史的経緯にたいする不信感のようなものが、あっしらさんをしてワヤクチャさんのことを『あなたは、社会主義者ではなく、協同組合主義者や改良主義者(国家による弱者救済主義者)であり集産主義者だったんですね。(反市場主義・反集産主義を標榜しているものとしては、19世紀から20世紀にかけての左翼運動の変節をたどっているようでちょっとがっかりしました)』と、言わしめたと推察しています。
そこで、私はワヤクチャさんにたいし、「イデオローグはもう少し先の展望を準備して措かなければならないだろうし、果たして改良主義的なポリシーで多様且つ広汎な人々の問題意識に対応し、それらを纏め上げることができるのだろうか」といった疑義を呈しつつ、あっしらさんの過去の投稿を紹介させていただくのですが、私の注釈を含めてワヤクチャさんの考察の参考にしていただければ嬉しく思います。
【「供給→需要」原理や政策的需要喚起について[オニオンさんへ]http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/496.html投稿者 あっしら 日時 2004 年 2 月 05 日】
<引用>
**************************************************************************************************************************** 供給が需要をつくるという「供給→ 需要」(供給=需要)原理は、経済問題を考えるときの要だと思っています。これは、セイの法則に通
じるものであり、古典派も基礎にしている考えです。
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[私見]
新商品の開発や流通のためのマーケティングにおいては消費者動向(需要)が供給の質量にフィードバックされることは重要なポイントです。しかし、既存の商品や生活基本財は供給ベースで需要が喚起及び規定されているのが実情でしょう。生活協同組合は消費者の不特定性を少なからず解消し、消費者オンデマンド[on demand]を現出させることになると想われますが、ただし産直野菜等の一部の生活基本財に限られるのではないでしょうか。結論を急いで申し訳ありませんが、私は供給ベースで需要(市場)をコントロールしようとする方が、より現実的であり、供給者(労働者)も意思決定に関わり易いのではと推察します。私はそのためにも経営に参加する条件として“生産手段の所有(領有)”が課題になるのではと考えていますし、その実現の方法を探求しています。
何れにしても、あっしらさん流の経済論理(説明体系)を辿っていくためには[供給が需要をつくるという「供給→需要」(供給=需要)原理]をおさえておくことが必要だと思います。
【今後の世界と日本 − 補足1 − [如往さんへ]http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/717.html投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 11 日】
<引用>
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奴隷が別に悪いわけではありません。奴隷であるという自覚がないことが、悪であると同時に救いなのです。(生存維持手段を持たない者は奴隷なのです。そして、一般的には、活動力の対価として生存に必要な物を供与してもらえる者が奴隷だと思われ、活動力の対価として貨幣を供与してもらえる者はそうでないと言われているだけの話です)
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[私見]
あっしらさんは近代では奴隷とは生産手段を所有しない存在を表象していると喝破していますし、生存に差し支えなければ奴隷状態に甘んじることもあり得ることと達観されてもいます。後は我々個々の価値観もしくは決断の問題であるのでしょう。すなわち、確信犯的に奴隷として生きるか、それとも生産手段を所有し自立して生きようとするか、です。私は被雇用者と雇用者の双方の立場にいた経験があり、前者の気楽さを享受し後者の厳しさをも身に染みています。その上で、一概には言えないとは自覚しつつ、人間らしく生きるとは自由に生きることであり、そのためにも生産手段の所有(領有)の生産関係を構築することは肝要な当為であり、生産手段の所有の実感は人をしてより生産活動へのコミットメントを促すものになると考えています。
以上の観点から、私は極個人的に【社会主義とは人間の奴隷的存在状況の克服という問題解決のために、その要諦とも目される生存の基盤である「自在(性)」(の要件)を集団的(共同体的)に担保していこうとする当為】と定義しています。さらに、【その国の歴史的発展過程に合わせた社会主義的な改革の施策を実施しつつ、世界の社会主義的改革を目指す国々との連帯を模索していくといった永久革命論】を如是とし、かかる運動の成否を決する要諦は労働者(生産主体)による生産手段の所有(領有)にあると考えています。
そして、それは一頭一頭が無記名な羊の群が一体一体が確かな個である狼の群へと転化していく道程でもあると思量します。
また、会いましょう。