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(回答先: Re: 金魚の事実→「事実認識」の主観性と客観性 投稿者 生成発展プログラム 日時 2005 年 11 月 23 日 10:40:24)
お、金魚の糞について「議論」していますね! ヘドロについての議論は止まっているようですが、客観的にはどうなんですかね。「そんな人間」なのかどうか、客観的に「分析」してみては如何でしょうか。金魚の糞が自然に切れるかどうか、あるいは長時間、金魚と共に動くのかどうか「分析」してみましょう。そこで「客観的」に読者に「伝わるように」述べてみましょう。そのためにはその「客観性」に「根拠」を与えないとうまく「伝わらない」でしょう。ちゃんと根拠を提示しないと、金魚の糞のイメージが「ついて回る」ことになってしまいます。ついて回られたら迷惑ですから、ヘドロと一緒に干潟で天干しすればいいと思います。天干しした、その上でならば、文脈が一緒なのですから、同じ土俵に立って「突っ張り」で勝負すれば、大抵は勝敗が決するまで続く訳で、あやや?と思っても後で祭りな訳です。いや、「後の祭り」でした。単に言葉の尻を捕まえて「捕虜にした」と公表しても、それはジュネーブ条約を守らなければならない立場になることです。まだ金魚の糞がついて回っているようですから、ここは一つ金魚に「スピンフィッシュ」という技を習得させましょう。そうすれば糞に付きまとわれる事はなくなります。要は金魚が身を回転させながら泳ぐように教育させるのです。これは「教育問題」でしょう。つまり、いくら教育しても「スピンフィッシュ」を覚えてくれない時は水槽の中にあなたの手を入れて金魚を「強制的に」回転して泳ぐようにさせるのです。これで曲りなりにも「スピンフィッシュ」の完成です。