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(回答先: 創造性とは一般的に認められた事実に立脚して発展されるべきである。 投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 11 月 23 日 12:43:03)
>ODA ウォッチャーズさん どうもです。
この手の議論の先には「言葉の責任問題」が絡みそうなので困っています。
Kの意見は「現実の延長線上で実現可能」だろうと考えてはいますが、それには幾つかの前提条件があり、その前提条件の成立は「非常に困難」であり、現状を認識した時には「理想論」でしかない。事も確かです。ここで意地を張ると「実証責任」が出てきてしまい、場合によっては「Kが政治参加する努力義務が発生」しそうです。(Kにその気はありませんし、あっても120%恥を晒すだけですが・・・)
【政策の中枢に居ることこそ、主体の現場に居ることであり、現実的な結果を具体的に予測し、実行可能性を高める主体であることである。】
という事は正しいでしょう。現実として政治を動かすには「与党」になり、政策を実行する力が必要です。
しかし、間接民主制では、庶民を「愚民」と認識表明しては「次期選挙はおろか、未来永劫に多数派形成はできない」でしょう。
小泉マンセーでないならば「多数派形成によっては実現可能と思われる未来展望を示すことが重要です」そうしなければ「永久に現実を改善することはできない」のです。
庶民は「国民の大多数を占めます」ここを敵に回すのは得策とは言えないでしょう。
少なくとも「次期衆議院議員選挙」にはチャンスがあります。その前にある参議院選挙でも、結果次第では「何かが変わる可能性はあります」
それには「小泉政策が絶対ではない事を知らせる」事と「国民の意識改革によっては実現していてもおかしくはない社会」を示す事が必要でしょう。
愚民と罵倒することで「反発心を呼び起こす」という手法はありますが、現在は逆効果でしかありません。なんせ先は長いのです。絶望からあきらめに突き落とす事になります。ニートや中年職場放棄者や自殺などを呼び起こして「どこに利益があるのでしょう?」
それともODA ウォッチャーズさんは「日本の衰退を望むのでしょうか?」
ここは、期待を持たせる「提案こそが」一縷の希望になるはずです。
>【Kさんには、一定の「倫理感」の欠如がある、と思われる。】
一定の定義は問題でしょうが、Kにも「倫理観」の欠如はあるでしょう。
中国においても諸子百家が「論争した」事でも分かりますが、倫理も個人によって違います。ある者は「他人に干渉すべきではない」と言い「ある者は良い世を作るために尽力すべし」と主張します。荘子などは「役に立たない事こそが最大の利(役に立たない事で大木になる木もある、役に立つ木は切られてしまう)」とすら教えています。
ですから、Kにも「足りないことの方が圧倒的に多い」は確かです。