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(回答先: なんか、病気っぽいな〜 投稿者 考察者K 日時 2005 年 11 月 13 日 08:36:14)
あの謎を未だに謎のまま心の片隅にある人は少なくないと思うなー
本人からは一言も説明は確かに無かった(報告義務があるとは言ってません)。
ちょうど大地震と大津波の時期と重なったので憶測が飛び交いました。
ところが長い空白の後、独白も何もなく復帰されたのには私の中の謎はさらに膨らんでいた。
「ほっとけー」と怒鳴られそうな話題だけど私も気になってますよKさん。
話は変わって、Kさんが真相ハンター→考察者にHNを変更した後、それを省略して単に「Kさん」と呼んだのはたぶん私が最初だったと思う。Kさんとは読む本や興味を持つことの分野はかなり似ているから当初から親近感を感じていた。ただ、考え方の結論部分では随分違うとも思っていた。
こうして「考え方が違う」というのは十人十色でそれは当たり前のことだと思う。誰か他の投稿者の投稿を目にし、共感を覚えても対話を深めると「考え方の違い」が最後に浮き出てしまう。人間というのはDNAの違い、生い立ちの違い、種々雑多な違いが結局は個人の考えを造ってしまう、違ってしまうのは当たり前。そしてさらにプライドや好き嫌いなどという要素も加わってしまうから最終的に対立してしまうのもむしろ必然。
結局はそういうものなんでしょうね。
先日来のこの阿修羅での対立には幾つかある。Kさんとあっしらさん、あっしらさんとODA ウォッチャーズさん、ODA ウォッチャーズさんとデラシネさん・・・なんかしりとりみたいに繋がっている。こうして対立が浮き立つ人には共通の要素がある。そういった対立の要素はともかくとして、私自身は皆さんが好きだから話がややこしい。そしてそれぞれの投稿者の投稿にはいつも「教え、気づき」を与えられていることに感謝している。
仲良くしろといっても無理だから、そして皆さん十分に大人であって「寸止め」の極意は身に付けていらっしゃるだろうから案外心配しないで対立を傍観している次第です。人というものは同一では有り得ない、だから最後にはその違いが表面化する。だけど、もう一つの接し方がある。群盲が象を撫でて各自が思い浮かべる「象」の概念は人其々、だから感じたままを「象とはこういうものです」などと言ってしまえば「それはちがう」と他から言われてしまう。しかしわれわれ人間の知識などというものは所詮群盲の認識に等しい。撫でて知りえた部分は「ほんの僅か」でほとんど無知だとさえ認識していれば、他人との意見の違いというものは、「自分が認識できない領域を補完してくれる貴重な情報」ということができ、それもまた感謝して傾聴すべきだろうと私は思う。つまり批判などを攻撃と受け取らず逆に感謝して受け取る余裕を見につけて欲しいなどと思ったりする。