★阿修羅♪ > 雑談専用15 > 668.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 児童虐待 身体と心の傷は日本の家族制度の中で覆い隠されていた! 投稿者 デラシネ 日時 2005 年 11 月 12 日 11:56:27)
少なくとも,この文
(児童虐待 身体と心の傷は日本の家族制度の中で覆い隠されていた!)
と
以下の文の内容の
分析は、現況理解に役立つ優れた内容と受け止めます。
「エテ公のバナナ」 と 「自分という檻」 : 花将軍さんへのレス
http://www.asyura2.com/0510/idletalk15/msg/605.html
投稿者 デラシネ 日時 2005 年 11 月 10 日 10:56:46: uiUTTMWMO8Vq6
確かに暴力は、強者が弱者に対して行う人格否定の言動が多いですが
これは相手を傷めつけるから暴力という表現になり、また
暴力は止めてほしいと願うのは当事者だけではありません。一般人の
普通の人の心もそう願うでしょう。その心さえ無視するのが暴力の特徴でしょう。
☆以上の二点とも、時代の先端問題の病理の解析に照準が合っているものと
受け止めます。
他の面で問題は色々あるのかも知れませんが、
何の問題もない人は存在しないと断言できる歴史的時間帯です。
人間Aの場合は、人の欠点だけ見て、その人を評価してしまう
すると人間Aの成長は、そこでストップしてしまいます。
人間Bは,長所の面を見つけて、その点を評価し参考にもする
そして、欠点面については、議論板で分りあうまで納得いくまで
自由に話しえば良いのではないでしょうか。
、【人格批判・存在批判】という暴力は
議論の前提条件としての「対話の場」を破壊し無益な場にするだけの
道場荒らしであり、恥ずべき行為と考えます。
国民・人類の為にはどちらの姿勢が力を発揮できる立場になるか
それは、明らかに人間Bの立場で情報に接する態度の方が「有利な
立場を形成していく方法」にもなっていると考えます。
「自分の檻」の話はよく解かりましたしODAウォッチャズさんが発言される
立場がかなり強圧的に感じるので、檻の中からの愛情のこもった発言として
実践していられる可能性がありかな、とその発言から時折感じていました。
「檻」に気付かない「檻の中のエリート層」
現在の米追従容認のエリート層、支配層(軍産複合体,極右軍国主義)の横暴を容認したまゝの姿勢を維持するエリート層、誤りの原点は放置したままにして
国民サイドの政治政策を進めていこうとする、つまり強者の存在は容認し、手を
着けないままにしながら、、「エリートの言う事を聞け」と高圧的な態度に終始し
本元の誤りを放置しておく態度に国民市民が抗議をすれば、それをエリート層へのねたみだ嫉妬だと、とんでもない勘違いの評価をして、檻の存在を感じさせる
ような圧力発言を繰り返してきたように感じられます。
「自分という檻」という檻の存在はあらゆる形で、日本を侵蝕して、人間をダメに
しているように感じます。良い面も確かにあるには違いないでしょうが。。。