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(回答先: 回復のための方法論 投稿者 デラシネ 日時 2005 年 11 月 12 日 21:22:42)
デラシネが、これまで自分自身の言葉で語ったことをあげてみよう(花将軍さん、無駄ですよ。http://www.asyura2.com/0505/kanri9/msg/427.html 投稿者 デラシネ 日時 2005 年 9 月 23 日 02:27:36:)。
「またHNを複数形にしているのは、小魚がたくさん集まって大きな魚に見せ、捕食者からの間接的な防御体制をとる本能と同じでしょう。
さらに、一般的にネット上でのHNは個人が個人の個性を表現するためのユニークなものが多いが、彼が敢えて「ODAウォッチャーズ」などという、さながら他者をして「集団によって構成されている団体」を想像させる非人格的なHNを選択しているところも、「個人ではなく団体としての発言」と偽装することでの責任の拡散、また潜在的には匿名性の補強となりましょうし、裏に回れば本人が他人を罵倒することへの心理的な罪悪感を自ら回避できることにもなる。
社会経験の欠如による幼児性に加え、以上のような心理的防御体制を堅固に纏っているが故に、他者に対する呵責のない罵倒を浴びせ続けても何ら恥とも感じない厚顔さを持ちえるのだろうと、推測するのは極めて容易です。」
この文章は、コピペした書き手のいう「専門用語を乱発したり、やたらに難しい言葉を使ったり、言い訳的な言説に終始したりします。一見ものごとを理解しているように見えたりしますが、本質的なことは何も理解していません。」というところに該当するのではないかい。
さらに、「難しい表現を使ったりすると、自分自身でも何かを理解したような気になりますし、誇大感を膨らませることもできます。しかし、その背後にあるのは優越感を持ちたいという気持ちであり、支配したいという願望です。」というくだりは、まさにデラシネのことを述べているようにしか見えないのだが。
それにしても、この「防衛規制のパターン」の文章は、境界例の人に向けられたものだぜ。
この書き手が、境界例の人にこのようなメッセージを送るのは自由だが、デラシネは何を根拠に一般化しているのか。こうした安易な、幼稚な一般化こそ、似非心理学がまき散らす害悪の最たるものではないか。
ところで、デラシネのコピペ書き込みをいろいろ見てきて、気になったことがある。
コピペのもとのアドレスは銘記されているのだが、著者名やサイトの紹介はほとんどされていない。
あまりデラシネのことを知らない読み手がさっと見て、この文章はデラシネが書いたのかと誤解しかねないのだ(実際、小生は最初の頃、デラシネの文章かと思ってコピペ文を読んだことがけっこうあった)。
これも常識的なことだが(と一般常識や社会ルールが通じないデラシネに言ってもムダだろうが)、印刷物でもネット上に書かれたものでも、書籍やサイトのタイトル、引用箇所のタイトル、そして書いた人の名前(タイトルでわかる場合は除く)は、たとえ引用・転載が許可されたものであっても、最低限、一見してわかるように明示するものだ。それが、(無断)転用のマナーというものだろう。
デラシネがこうした手間を惜しむのは(たいした手間でもないのに)、
(1)(無意識的にかどうかは知らないが)読み手に自分が書いたものだと思われたいからか、
(2)ここに書かれていることは、まさに自分が思っていることと同じだから(本当は連名にしたいくらいだが、さすがにそれはまずいので)、あえて書き手の名前を明示しないのか(そうすることが自分の気持ち、感情に正直なわけだ)、のどちらかではないか。
どうやらデラシネは、論理的思考能力が弱く、自分の頭で考えたことがほとんどなく、しかし知的、論理的なことは語りたいという欲求が人並みはずれてあるような性格の持ち主のようだ。