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「エテ公のバナナ」 と 「自分という檻」 : 花将軍さんへのレス
http://www.asyura2.com/0510/idletalk15/msg/605.html
投稿者 デラシネ 日時 2005 年 11 月 10 日 10:56:46: uiUTTMWMO8Vq6
 

花将軍さん、おひさです。
「言い得て妙」たる直喩をいただき、恐縮です。
「エテ公のバナナ」って、ホントなんなのでしょうかね?

「エテ公」とこられたので、すぐに小生「檻」という言葉を連想しました。
ただこれらはどうも、それぞれにレイヤが異なるような気がします。
「エテ公のバナナ」が何たるかを知るためには、「自分という檻」から考えてみる必要があるのではないかと。

本来、この「自分という檻」をご理解頂く為には、ユング心理学で言うところの「元型」「自己」「自我」のそれぞれの機能について説明しなければならないんだけど、ここではちょっと「全体としてある機能をもった私」を想像してみて下さい。
「思考パターン」もその機能のひとつです。

人間は、自分を「自分」として機能させている存在で、その機能の中心的な役割を担っているのが「自我」なんですが、この「自我」はその発達過程において、外的な影響をまともに受けるんですね。
その外的な影響の最大のものというのは、一般的には両親の影響を意味します。

社会の中で生きる我々は、共通了解としての価値観や思考パターンといったものが、例えて言えば“成長するに従って誰でも背が伸びるように”自然に備わってくるものと考えがちですが、そうではないのです。
その基本となるものは、主に両親との関係性において形成されるんですね。

例えば誰かの両親が極めて教条的な人々であったなら、その人も極めて教条的に育つ可能性がある。
小生は前々から「外的コントロール心理学」の弊害について訴えておりますが、大なり小なり我々が「外的コントロール心理学」をもって他人を操作してやろうとする衝動を抑えられないのは、自分たちが両親からその「手法」でもって育てられているからなんですね。

これは実に不幸なことで、これは子供が両親を怒らせ、その結果見放されたら「生きてはいけない」存在である限り、両親による外的コントロールを肯定的に受け入れざるを得ない立場にあるということですね。
子にとって親は、「神」なんです。

例えばある父親が個人的な理由でイライラし、そのイライラを発散させるというただそれだけの為に、頻繁に何も悪いことをしていない息子を殴ったとする。
誰がどう見たって父親の一方的な八つ当たりなのですが、息子としては愛する父親、というか、自分の殺生与奪の権をもつ父親から殴られたら、それが如何なる理由からであっても「自分が悪かったから殴られた」と思わざるをえない。
父親から嫌われ、見捨てられるわけにはいかないから、それが如何に理不尽な行為であったにしろ「お父さんは僕を愛しているから殴ったんだ」と信じざるをえないのです。
子供はまさに命懸けでそう信じようとするのです。
そしてその「思考パターン」を、子供は生涯にわたって身に着ける。

その子が大きくなり、結婚して息子をもったとしたら、やはり同じようにわが子を殴るでしょう。
「息子のためを思って」殴るのです。
少なくとも「そう信じて」殴るのです。
なんとも恐ろしい話です。

小生がここ暫く「相互理解」というテーマを中心にして投稿し、それを読んだODAウオッチャーズが遂に激昂したのは、そういうことでしょう。
彼自身は他者との関係性において、常に「知的レベル」などというものを持ち出して自他を区別し、他者を批判し見下すという構図によってしか自身の輪郭をなぞれない。(他者と関係をもてない)
それ以外の方法で他者と関係を結ぶ方法を知らないから、必死になって理論武装をし、ナメられまいと常に身構えているのです。
幼少よりそういった環境下で育った、つまり彼と彼の両親との関係性というものがそういった構図にあり、彼自身がその構図(環境)を甘受することなしには生きてこられなかった。
教育歴といった外部環境も、その構図を強化するような類のものだったのではないでしょうか。

「それ以外の方法で、他者と関係を結んでいく人間が存在すること自体」が許せない。
それを肯定するということは、過去から現在までの自分自身の存在を否定することに繋がりますからね。

ここまで話せば、「自分という檻」の意味をご理解頂けるでしょう。

そういえば思い出したけれども、北朝鮮に拉致された蓮池薫さんが帰宅し、お兄さん(透さん)と対話をしていて、透さんが“弟が北朝鮮に拉致され過ごした25年”をして“失われた時間”と表現し、それを聞いた薫さんが烈火のごとく怒ったことを覚えています。
「俺のあの25年は、失われた時間などでは決してない!」と。

もちろんこれとあれでは全然話が違いますが、「怒りの所在」については、このエピソードから何となく想像頂けるのではないかと思います。
人が自己を「否定された」と感じるのは、誰かに「お前はダメな奴だ」と烙印を押された場合に限らないんですね。
物心ついて現在まで過ごしてきた「時間」というものも、既に自我の一部となってしまっているのです。
(ここまで読んでAC(アダルトチルドレン)を思い出す人は多いと思いますが、ACの概念は昨今あまりに多様化されすぎていて、安易にこの言葉は使わないほうがいいようです。)

「エテ公のバナナ」という発想は、実に面白い。
「エテ公のバナナ概念」を考察し、心理学会に報告すれば、あんがい心理学用語として認知されるかもしれませんよ。

花将軍さんが意味する「エテ公のバナナ」とは、小生思うに「既にインプリントされてしまった行動、思考パターン」ではないでしょうか?
確かに人からこれを取り上げるのは至難の業だし、また、取り上げるなど不可能だと思います。
誰だってエテ公だし、誰だってバナナを持っているのですから。

ただ、このバナナがその人が生きる上での障害となっていれば、やはり捨てるべきでしょう。
「インナーチャイルドの癒し」を阻害するのであれば。

でもこれを捨てるかどうかは、本人の気づきを待つ以外に方法はないのです。

http://www8.big.or.jp/~aiba/innerc.htm

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