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(回答先: これは「おっさん」「 Sirent Tears」「デラシネ」各氏への批判であり「あっしら」氏への批判でもある 投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 11 月 09 日 11:02:34)
タイトルに私の名前もあるので何が書かれているのか期待して読んだが、思わず噴き出してしまった。
>国際社会の知識層・良識層からの健全な批判であり、屁理屈を捏ねて自己正当化し、
>健全な意見の冒涜を繰り返す輩は、速やかに自己反省するべきである。
>形式的な抽象論で、差別的発言を容認する「あっしら」氏の罪も重い。
「知識層・良識層」・「健全な」・「屁理屈」・「自己正当化」・「冒涜」・「形式的な抽象論」・「差別的発言」といった言葉自体に価値判断がべったりくっついた用語のオンパレードでしかない文章にどういう意味があるというのだ。
意味があるとしたら、ODA ウォッチャーズさんの価値観が推察できることくらいだろう。
(記事の範囲であれば、国連人権委員会のディエヌ特別報告者のことを、近代的価値観に毒されて抽象的に差別を振りかざす人、欧米諸国家の現実を捨象して日本などをことさら取り上げる差別主義者と思う人がいてもなんら「屁理屈」でも「冒涜」でもないと思う。ブッシュ政権は一方的断罪でイラクに侵攻し殺戮と占領を続けているのみならず、「イラク人にはイラクを統治する能力がない」とも言っている。念のため、私自身は、国連人権委員会のディエヌ特別報告を一つの対日観と表明と受け止め拒否はしない)
「知識層・良識層」・「健全」に対応する主体が引用してある記事の国連人権委報告者であり、「屁理屈」・「自己正当化」・「冒涜」に対応する主体がタイトルで名指ししている「おっさん」「 Sirent Tears」「デラシネ」の各氏であろうと推測する。
そうであるなら、ODA ウォッチャーズさんは、レスで示している「デラシネ」氏は別として、「おっさん」「 Sirent Tears」両氏のどのような投稿が「屁理屈」・「自己正当化」・「冒涜」に相当するのかを示す責務がある。
「知識層・良識層」・「健全」・「屁理屈」・「自己正当化」・「冒涜」・「形式的な抽象論」・「差別的発言」といった価値判断を含む言葉を使うときは、その根拠を示すのが“健全な”思考力の証しであろう。
一般に、良や善と考える言葉をぶつけることを「差別」と考えているようだが、「あの人は知識層・良識層に属している」とか「アメリカはすばらしい国だ」といった表出も、問題視されないとしても差別である。
私は、個々人が感じたことや判断したことを率直にかつ責任をもって表現(投稿)できる場であって欲しいと思っているから、差別的発言も容認すべきだと思っている。
逆に、感じたり思ったりしていることでありながら、ある種の基準に照らして、表現として外に出さないほうがいいという自己抑制や(他者からの)規制が加わるほうが問題が多いと考えている。
石原都知事の発言については、「差別」云々ではなく、内容の誤りや政治的影響という観点でいくつか批判の投稿をしている。
(石原都知事は武張った言動が好みのようで率直以上の過激な言動をしているが、対中観などを内に隠したまま政策でおかしなことをするよりはまだ救いがあると思っている。彼の言動を投票権を行使する段階で裁断することもできるという側面もある)
個々人が感じたり思ったりしていることを率直に語り、その対象となった個々人も、反論に値するものに対しては率直に反論すればいい。そして、各自は、自分が語ったことに責任をもたなければならないというだけだ。
(チョンだ、犯罪者集団だといった罵倒的言辞は無視するなり罵倒を返すだけでいい)
もちろん、政府部門をはじめとした国家機構が、国籍事項による差別がないにも関わらず、法の適用で差別することは不法行為だから認めることはできない。
(しかし、ある人が好きな相手が朝鮮人や“被差別部落出身者”だからといって結婚を断ったしても、その人の選択であり価値判断である。相手が金持ちだからとか東大卒業だからとか医師だから結婚を受け容れることとなんら変わらない個人の自由である。それらの判断結果が吉と出るか凶と出るかはわからないこと)