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(回答先: オイオイ、どうでも良いですが、被害妄想は困ります。 投稿者 考察者K 日時 2005 年 11 月 09 日 07:04:42)
>オイオイ、どうでも良いですが、被害妄想は困ります。
別に「被害妄想」ではなく(Kさんの態度を問題にしているだけで、被害を受けたという認識はない)、事実を指摘しているだけだ。
>【「読み替え」要請だけで済ますとはいい根性】
>との事ですが、一応「Kが「あっしらさんの意見を正確に引用しなかったのはKのミ
>スであり」この事はお詫びしておきます。」とも書いています。【「読み替え」要請
>だけ】というのはどうでしょう?
Kさんに直接書いたかどうかは覚えていないが、これまで、詫びを求めことはないし、詫びなかったことでクレームを付けたこともない。
【「読み替え」要請だけ】というのは、【Kさんの“あっしらは○○”という判断・評価の根拠が変わること】でありながら、それになんら触れていない事実を指す。
>【Kさんの“あっしらは○○”という判断・評価の根拠が変わることなんだぞ。】
>この○○に何が入るのか、Kには分かりませんが、それはKが決めることではなく、
>あっしらさんが決めることでもなく、デラシネさんもしくはこの「やり取りを見る読
>者」が判断する事と言うのが「今回の議論の性格」でしょう。
Kさんは、「まあ、概ね正しい見方です。しかし、一般論としてみた場合にはと言う条件付きでしょう。」( http://www.asyura2.com/0510/idletalk15/msg/565.html )のなかで、
「「大幅な政府の財政赤字は放置可能(もしくはノーリスクで処理できる)」があっしらさんの主張です。このように書くと歪曲だと起こられそうですが、まあ、そのような意味の主張をしている訳です。
「それはおかしいのではないかい?結果として国家破産はしないにしても財政赤字は減らす方向で考えるべきでしょう」がKの意見です。」
と書いている。
「それはおかしいのではないかい?」は、私が、財政赤字は減らす方向で考えていないときに意味を持つものである。
(Kさんの改竄である「大幅な政府の財政赤字は放置可能(もしくはノーリスクで処理できる)」が、「それはおかしいのではないかい?」という批判表現の根拠になっている文脈なのだから)
私自身も「財政赤字は減らす方向で考えるべき」と主張し、但し、それは、デフレ状況下の増税や歳出削減で行うべきではなく、デフレからの脱却を第一義的政策目標とし、その実現ののちに行うべきであり、デフレ下で増税や歳出削減を行えばデフレ不況が深化しますます財政が悪化することになると説明している。
同じ投稿のなかでさらに、
「二原論を問題にするよりは「「国家財政赤字は1000兆円越えでも良い」」・「国家破産は絶対にあり得ない」という一原論(憑き物の様な狂信)を問題にすべきでしょう。」
とも書いている。
政府債務残高は1000兆円を超えても対応できるが、財政赤字は縮小しなければならないと説明し、国家破産は避けられるし現実にもそのような政策が行われているが政府中枢が売国であれば破壊工作として国家破産もあり得ると説明しているのが、「一原論(憑き物の様な狂信)」に相当するものなのかはっきりさせるべきであろう。
>【Kさんは、きちんとした文章で、国家破産を煽り、“あっしらは○○”といった
>判断(評価)もしているんだぞ。】
>はチョット間違いです。Kはキチンとした文章など書いていません、誤字脱字の山で
>す。国家破産を煽っているのでもなく、是正策を考えようと提言しています。
きんとした文章とは意味が読み取れる文章という意味で、文脈がたどれるなら誤字脱字の山も問題はない。
財政がこのままだと国家破産になるという言動は、国家破産を煽っていることになると判断している。
また、デフレ下で増税を唱えることは、内容は違っていても、政治的多数派(小泉政権・自公連立与党)の増税策を奇妙なかたちでサポートすることになるとも考えている。
>【財政赤字と政府累積債務(債務残高)の区別がつかないというのなら基本知識から
>少し学んだほうがいい】
>ここは正しいのかもしれませんが、一般的な庶民の多くが区別は付かないでしょう。
>だとすればKが煽らなくとも「パニックになる」と何度も主張しています。
社会状況から判断して、一部の政治好きや金持ちはともかく、一般的な庶民は国家破産が起こるとも考えていないだろうし、預貯金資産も1千万円未満の一般的な庶民は、国家破産が起こっても現状と同じ程度の災厄だと思っているだろう。
国家破産よりも、失業・収入減少・老後不安でパニックになっているのが日本の現状である。
>前の前の文にもありますが、Kのあっしらさんの評価は
>【Kはあっしらさんの方がKより深い知識を持っていると思っていますし、Kより頭
>の回転も速いと思っていますし、それはお世辞でなくあっしらさんとのやり取りでも
>表明しています。】
>と明記しています。それが現実です。
そんな評価はなんの意味もない。
判断は違ってもかまわないのだが、Kさんがまともに考えきちんとしたやり取りをすることを求めているだけである。
>なお、ガリレオについてですが、主観の定義が微妙ですが、直線運動においては成り
>立つ「相対的」ですが「一方が一方の周りを回る」という時には成り立たず、ガリレ
>オは地球の周りをたいようが回るのでは説明できない事を元にして常識を疑って、自
>分の主観を観測によって打ち破ったのです。最終的な判断は主観による決定でも、そ
>こに至る判断は「感情や思い込みではなく、観測であった」事は明白でしょう。
「地球の周りをたいようが回るのでは説明できない事」って何ですか?
主観は、議論では相手を叩くときに間違って使われたりもしているが、ことさら「感情や思い込み」を意味するものではない。
ある事象を体系的で精密な内容で論理的に説明したとしても、主体(主観)の対象的認識(事象を理解しようとする思考営為)の言語(概念)的表出であり、ある主観の内容が表現されたものでしかない。
(念のため、意味がないとか、誤っているといった話ではないので誤解しないように...)
世界観が異なり、時空間・運動・視点の概念が違っていれば、ガリレオの主張も“思い込み”と言われることになる。
(常識は、ある主観の表出内容を是とする主観の数が多かったり、権威的組織から“公認”されている考え方)
「自分の主観を観測によって打ち破ったのです」という表現は、“ある時点までの自分の主観をある時点以降の主観による観測事象の理解に従って変容させた”のほうがふさわしいだろう。