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(回答先: 天動説と地動説の相対性 投稿者 東の空 日時 2005 年 11 月 09 日 04:28:38)
>しかし、力(この場合重力)という概念を持ち込むと「加速度と力の関係」及び「地球と太陽の間の重力」があるので太陽中心になります。
一般相対論の世界では、重力や加速度を持ち込んでも、地球と太陽の関係は相対的ではないでしょうか(重力と加速度は等価になる)。
一般相対論的には、天動説と地動説の区別は「無意味」であると思います。
>そう考えるとニュートンまでは、地動説を主張する資格はなかったのではないかと思っています。
コペルニクスやガリレオの時代の天動説と地動説の対立は、当時の神学的世界観(世界像)の対立であり、力学的世界像、言い換えると近代理性が登場して以降に急速に発達した近代科学的世界観による解釈の対立ではないので、資格云々という話もあまり意味はないと思います。
たしかに「ガリレオは回転運動を等速直線運動と同じように、基本的運動としてとらえてい」たかもしれませんが、そうした基本的運動を可能にする世界像が、さらにその先に存在したのであり(ガリレオの中にも、ガリレオの対立者の中にも、さらに言えば近代物理学の創始者と見なされるニュートンの中にも)、そうした世界像を抜きにした「天動説と地動説」をめぐる議論あるいは批判は、実りのあるものではないでしょう。
平たくいうと、コペルニクスやガリレオは、天動説が中心だった当時の神学的世界観に対して、近代科学的世界観から批判を加え、地動説を提唱したのではないということです。
これはニュートンにもいえることです。
お暇があれば、
『錬金術師ニュートン―ヤヌス的天才の肖像』B・J・T・ドッブズ、みすず書房
近代科学的世界観の成立事情については、かなり前の本ですが、必読の名著です
『近代科学と聖俗革命』村上陽一郎、新曜社
神学的世界観と近代科学的世界観の違いについて掘り下げて考えてみたければ
『科学の危機と認識論』廣松渉、紀伊国屋書店