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末法思想をいう考え方がある。人類全体を生命体として考えた場合、人類の歴史もいずれは週末を迎えるのかもしれない。社会というものは「人間の生態」に近い構造がある。食を作る第一次産業(口)があり、それを加工する産業があり(消化・吸収)して、各個人(各細胞)行き渡らせるサービス業がある(細胞)に、安定供給が途絶えたと時のために金融業(脂肪)として保管をする業務もあり、少々怪しい面もあるが、政府(脳)が社会維持を指令・伝達し、社会全体(肉体)の維持をしているという考え方は成立するのかもしれない。
癌細胞は「有害細胞」であり、いずれ生命を死に至らしめる寄生生物である。悪性新生物との呼び方もあるように、母体から発生し、母体の生存維持活動には何ら貢献を行わず、しかし、他の正常細胞に比べ強力な生命力を持っていて、勝手気ままに増殖を続け、最終的に母体を殺す事によって、自らも連鎖死亡に至る。一般的には寄生生物でも「母体」には何か役に立つ「共生関係」があることも多いが、癌細胞は『現在のところ、超利己主義的な純粋破壊細胞』ではないかと思う。
「日本人は組織依存意識から脱却すべき(諸外国に比べ依存度が高すぎる)」と言う考え方と「民衆は権力は個人的権利に介在しない方向で考えるのが正しい」という考え方があり、それには「正しい面もある」事は間違いは無いのだろう。
比率問題とデジタル思考の二原論のバランス感覚は「個人の考え方で様々」であろうが、個人の自由は『できる範囲内で尊重するべき』と『できる限り尊重しなければならない』ではニュアンスが微妙に違うが「自由の尊重こそ絶対的」まで行くと論外であるとも思う。
少子高齢化が進めば「現在の社会制度は成り立たなくなる」だろうと思う。
一方で「社会制度は守るに値しない」という価値観を有する者はいるだろう。少なくとも「そう考える事は自由である」と主張する意見はあるだろう。これを野放しにする事は「政府の存在意義に直結しかねない」と政府が判断すれば「弾圧」になり「規制強化」になり、それを見た民衆は「自由を要求」する。これは振り子のようなもので「政府に危機感があるうちは規制強化がされている」が、「政府から危機感が少なくなれば、規制緩和」と言う場合もある。しかし、一度定められた規制を変更するには「何かの切っ掛け」も必要である。
前にも書いたが、民衆は誰かに導かれたいと言う意識と、自分の生きたいようにしたい。という「相反する要求を併せ持つ」という不思議な動物である。自己への過信と自信の無さを同時に内在させるのである。
世界はグローバル化の流れであるから「この機会にあらゆる規制を撤廃する方向で思考すべき」という意見には「正しい面と危険すぎる部分」がある。
例えば、あっしらさんは「国家破産は無い。それを主張するのは犯罪行為であり、それは政府への増減策を後押しする行為」だと断言に近い主張をする。真意は色々考えられ、場合によっては「公には発表できない、理論的な部分があり、無言の弁からでも、それに気づけよ!」的な意味合いもあるのかもしれない。例として適当でないかもしれないが「警察官に立ちションをしても良いですか?」と聞けば(人柄と場所にもよるだろうが)「肯定はしない可能性は高い」と考えるべきだろうと思う。後はその言葉が「絶対的な否定か?」「聞かなかった事にするから俺に分からないようにしろよ的なものか?」であるが、これの後者である場合の「見極め力とか理解能力」は人によって大きく違う。そもそも、警察官に「軽犯罪しても良いか?」と聞くのが馬鹿だと言ってしまえば話は早いが、見も蓋も議論も余地も無い。
国家破産を考えないように考えよう。という意見は「憲法改正」は考えること自体が悪という意味にも通ずるところがある。Kは以前より「護憲派が強いうちに改正を受け入れ、経年疲労と自主憲法ではないという部分だけでも処理してしまい。理念を守るべき」と主張しているが、多くの護憲派は「文章」を守ろうとして、ここまで追い詰められてしまったという経緯を感じている。
あっしらさんがKより知識が広く深いのは確かだろうと思うが、仮にあっしらさんの主張する「国家破産は国益に反すると支配層が判断しているからあり得ない」というような意見が正しいとしても「国家破産に脅える国民は増え続ける」だろうから、いずれ国家は「国家破産を回避するためと言う名目で国民負担を強いる政策を実行する」事になるはずである。問題の先延ばしは百害あって一利なしかもしれない。少なくとも「あなたは物事を真剣に考えようとはしないカスだから議論はしません」というような態度だけではなく「素人でも分かる様な説明」をすべきだろうと思う。
あっしらさんには「真実を見極められれば自分ひとりでも良い」というような部分がありますが、今回の郵政民営化問題などを目の当たりにすれば「理屈的には筋の通っているようにしか見えない方が一方的に負け、制裁すらされる」のです。少数しか理解できない真理は「少数であるだけで間違っている」のです。
仮にあっしらさんの「国家破産はない論」が理論上は正しいのだとしても、それが多くの国民に理解され受け入れられなければ、仮に一部の支配層が帳尻を合わせるような事をしていても「国民の要望が国家破産によってリセットしよう」という物になり、それは「拡大し続け」どこかで「何らかの措置を取らざるおえなくなる」のです。
年金財政、郵政システムと「隠れ蓑の維持ができなくなった」背景には「これ以上の誤魔化しはリスクが大きい」という考え方が政府にもあり、西部・ダイエーなどの破綻は「支配層も一枚岩ではなく対立していて、個々には栄枯盛衰をしている」と言う事を物語ます。
中にはあっしらさんの考えているような支配層の人もいるかもしれませんが、Kのような思考レベルの人もいるでしょう。その中で行われる決定が「正しい決定」とは限らないのです。
今現在間違いなく正しいのは「国家予算の大きな部分を占める赤字国債利払い金」です。これだけでも貿易黒字を無にします。ここを減らす事を考えない限り、国債のサイクルが維持されても未来永劫に「税金に対する福祉サービスは少なく、国民の不満と危機感は増大していく」事が予想できます。「刹那的な生き方を模索する人は増加し、社会制度は崩壊の方向に向かう」のだろうと思います。
相続制度改正において、あっしらさんは「Kが示した効果」にはほとんど触れずに「考え方」に攻撃を集中しました。Kとするとこれは不満です。「考え方などは個人によって違い、千差満別で表現方法の数だけ理由付けが可能」というような代物です。
しかも、Kの鰯頭では、あっしらさんは「いかなる理由があろうとも、政府の権力効果に繋がるような考え方は許せない」と強弁しているような感じで、中味の議論には入ろうとしないという態度に思えました。法の理念の解釈などは「拡大解釈によって海外派兵までしている現在では2の次、3の次」だろうとKは思っているので、好い加減に回答すると、挑発したり、詭弁のような論法を行うだけで、示す対案は「所得税の累進強化と物品税案」で、しかも増税効果は考えないと言う「日頃の主張との整合性を取るためにかその場しのぎの意見」とも取れる「灰色回答」・・・
ここで、あきらめて、議論を打ち切っても良いのですが、そうすると「Kをゾンビ」と思うような人もいるようで、下手に謝ることもできない。Kはゾンビだのカスだの書かれるのは気にもしないが、それによって「Kへの認識が固定されて、Kの読者が減ると、阿修羅に来ている価値がなくなるので困ります」
はっきり言ってKが阿修羅に来ているのは「Kの考え方を一人でも多くの人に読んでもらい、その人の中で消化吸収してもらい、自分で考えるようにしてもらいたい(この場合はKの意見を否定的に捉えてもらっても全然かまわない)」というのと「みんなが少しでも幸福になる方向で考察をする人が増えてもらいたい」と言う思いと、ついでに「どうせ阿修羅で活動するなら何人かの有名論客を一回くらい論破したい」という考えだからです。
Kには恥とかプライドとかは少ないので、論破されて謝るのはかまわない(正当な評価なので仕方が無い)が、議論を打ち切って「不当な評価をされるのは、読者減少に繋がるのなら困る」しかし、あっしらさんは何か、議論の本筋でない部分に拘っているし、何を書いても、それに噛み付いてくる・・・
更に極めつけは「PCは絶不調の上」「仕事が忙しく時間が無い」
Kがこんなに不幸なのは、社会が狂っているからであり、絶対に見直しが必要だと確信している。これが、間違いない結論である。で、最初に戻るが「個人的自由主義者は癌細胞である」
なお、アッチラ=あっしら氏になるかは、回答によって変化するが、現時点では「世の中を結果的に悪い方向に向かわせる考え方がアッチラ的思考」としているだけである。