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去る二月二七日、麻原教祖に死刑判決が下り、一連のオウム真理教事件の裁判の行方も厳しい処罰が下される方向で概ね見通されるようになった。しかし、教祖にマインド・コントロールされていた被告らの心理はあまりよく知られていないと思う。犯罪に関与した被告人たちが、知性も教養も高いとされる人であったことは周知のとおりだが、彼らはもともと冷酷で無慈悲な人間なのか。
そうとはとても思えなかった。私は特別に裁判所の許可を受けて、彼らの心理を理解するため、地下鉄サリン犯などを含む一連の事件に関与した7被告人に面接調査を行ってきた。彼らは皆、礼儀正しく真面目な印象であった。そして何度か接見するたびに、彼らが真剣に己の人生を見つめ、正しい生き方を探求したことがわかってきた。その結果がなぜこんな犯罪者になってしまったのか、当人ら自身もいまだ釈然としない。
私が思うには、被告らを含む多くの信者は「迷走の世代」とでも呼びたい現在三十歳代の人々だ。麻原教祖は、何かを見失ったり、先行きに漠然とした不安を抱いたりしていた彼らに対して、一つに理想としてあるべき個人や社会のイメージ、二つにそれらを苦しくとも追求する自分の存在価値、三つにこの理想を実現可能にする法則や理論、四つにその達成度の道標、五つに究極の人間モデルと情報の取捨基準という、人が惑わずに生き抜くに重要な信念の全部を獲得させた。それらは欺瞞で描いた幻想だったが、魅力的であり、とてもリアルに感じさせた。だからこそ、急速に信者数は増えた。
団塊の世代は、それに似た幻想を共産主義に見たが、覚めたときにこっそりと日常に戻ってしまって残念にも経験を語らなかった「屈折」世代だと思う。後に続いた世代は、経済的好景気の中に享楽して気楽で無責任に「軽薄」に生きてしまった。そんな後、迷走のオウム世代はいずれの上の世代も真似るべきでないと否定し、自分だけでもまともに生きようとしたのだと思える。
さてその次世代、つまり今の若者はというと、やはり上世代の生き方を否定し、社会はともあれ、自分が勝ち組にまわればいいといった考えに立つ「混沌」世代とみる。このような崩壊の一途をたどってきた日本社会を再起させるには、オウム信者の真相をより深く究明して、たゆまずに次世代に語り継ぐことが大切ではないだろうか。
(静岡県立大学助教授・社会心理学、西田公昭) (読売新聞夕刊「金曜コラム」2004,4,2)