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(回答先: 時間が無いので少しだけ・・・ 投稿者 考察者K 日時 2005 年 11 月 01 日 23:32:53)
>この条文のどこにも「死者の人権(もしくは財産権)についてはうたっていない」気
>がするのですが・・・
>確かに「配偶者」については多少書かれてはいます。一応書いておきますが、配偶者
>は血族ではありません。
憲法は生きている人のみを国民もしくは法の適用を受ける市民と考えているので、「死者の人権(もしくは財産権)についてはうたっていない」のは不思議ではありません。
死者の財産権は、死と同時に相続権者総体に引き継がれるものです。
憲法第24条は、家族の一員が新たな家族を形成する行為に関わる条文です。
その2項に、「財産権、相続、」が明記され、それを具体的に規定する法律は、「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」としています。
そこに書かれている相続は、配偶者間にのみ関わることではなく、元々帰属していた家族とのあいだや新しい家族に属するようになった子とのあいだも含むものです。
この憲法規定が、民法の改正を促し、子の相続権は基本的に平等になったのです。
>今回の論議での問題は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」の部分
>ですが、これは文章にもあるように「良心」であって「悪心」とはなっていませんね。
政府が人の生き方に介入することに関して、“良”と思う人もいれば、“悪”と思う人もいるのです。
どういうことを“良”と考えるかは個人に委ね、統治機構はその内容によって強制力を使ったり差別的措置を講じることをしてはならないという規定が、憲法第19条です。
しかし、「思想及び良心の自由」は、その内容を根拠とする違法行為(犯罪)を容認するものではありません。
「思想及び良心の自由」が認められても、外形的行為として刑法その他の法に抵触する場合は、「思想及び良心の自由」という内面性で無罪になることはなく可罰対象になります。
(表現を伴わない「思想及び良心の自由」は無意味ですから、ある種の表現が可罰であるということは完全なる「思想及び良心の自由」ではないことを意味します)
>その上で憲法であっても文面です。文字面だけでは判断しきれない「こうあるべき」
>は見極める必要があります。
憲法は、国家統治機構と国民とのあいだの規定で、国家統治機構の構成や統治行為の法的正当性を明示するとともに、国家統治機構が国民に対しどういう関与をしていいのかを規定するものです。
「こうあるべき」は、権力を国民に行使する国家統治機構は憲法の規定に従って統治行為を為さねばならないということであって、国民が「こうあるべき」ではありません。
>「個人は他人の人権を尊重した上で自分も人権を守られる」というのが、社会の一員
>として社会に守られるための条件です。
個人ではなく、国家機構がすべての個人(国民)の人権を尊重し守らなければならないのです。
そのためにこそ、国家機構は強制力を持っているのです。
「思想及び良心の自由」がありますから、個人は、“人権なんかクソ食らえ”と考え尊重しないで生きてもいいのです。しかし、法を破って刑務所に入ったり罰金を払うのはイヤだから法律を守って生きるでもいっこうに構わないのです。
そのような意識情況が気に入らない人は、それを諌める運動をすればいいのです。
政府が、“人権なんかクソ食らえ”と考え尊重しないで生きている人をそれだけの理由(外形的違法行為なし)であれこれ咎めるようなことをすれば違憲の統治行為になります。
>ですから、相続を受けるためには「親に遺言を書いてもらうか、立証性のある親孝行
>をする」というのは一つの考え方ですし、また、他人の分配分までも「相続と言う努
>力が認められない事由によって財産形成ができるのは上限を定めても問題は無い」と
>考えられます。
これまでも書いたように、政府が“親孝行”の有無で個人の権利を制限したり強制力を行使すれば、「思想及び良心の自由」に抵触する違憲行為です。
仮にそれを強行突破したとしても、思想及び良心に照らして“親孝行”とはなんぞや、という定義からおおもめになり、個々のケースへの適用では訴訟を含めて大騒動になります。
(これも何度も書いているように、プラスの財産を残すような親は、仕送りもいりません。子どもに甘い風潮から、子どもが自分の面倒を見なくても、子どもには好きなことをして楽しく生きて欲しいという親も少なくないでしょう。外形的に立証する行為はなくても、親孝行だと思う人もいます。親のおカネで一緒に海外旅行しても、親のために行ってやったと思う人もいます)
>【宗教や思想などと同様、「道徳普及運動」を否定はしません。】〜【しかし、それ
>を政府が行えば違憲の統治行為です。】
>道徳の解釈と種類の問題はありますが、道徳は宗教ではありませんね〜、仮にあっし
>らさんの主張が正しいなら「道徳」の授業は憲法違反ですね。
公立学校で、この「道徳」を遵守して生きていきなさい(生きていくべき)といった内容の授業を行うことは、憲法の「思想及び良心の自由」に抵触する違憲の統治行為だと思っていますよ。
(いくつかの道徳的考え方やその意味を教えることはセーフだと思っています)