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(回答先: 現金より情報の時代が来た 投稿者 たかす 日時 2005 年 11 月 01 日 00:01:57)
>現金ではなく、情報が企業を左右する恐ろしい時代。それは果たして正しい市場の姿
>といえるのか?市場は本当に公平な市場なのか?日本は恐ろしい時代に来たのではな
>いか?何も生み出さず、何の価値も生産せず、ただ情報を流すだけで巨額の富を得
>る。現在の市場の裏に隠されたものとは??不気味な時代である。1987年に墜ち
>たのはルシファーか?それとも・・
「現金ではなく、情報が企業を左右する恐ろしい時代」は、今に始まったことではありません。
競争環境のなかで利益の獲得をめざす活動を行う限り、儲けるためにおカネ(資本)をどう使えばいいのかを判断する根拠となる情報が死生を決します。
(技術も情報です。情報を読み解くことも情報力です)
母国が好況で沸いているなかで、いち早く遠くアジアの需要低迷という事実を知った人が、やがて来る恐慌を避けるだけではなく、恐慌という災厄を自分の利益に転化することができました。
宗教組織を別にすれば、「ただ情報を流すだけで」は富を得ることはできても「巨額の富を得る」ことはできません。
経済活動で巨額の富を得るためには、情報をもとにおカネをそれなりの規模で投じなければなりません。
“何も生み出さず、何の価値も生産せず、ただ情報を活用しつつおカネを動かすだけで巨額の富を得る”人々は、金融家を中心に古来より存在します。
市場は、社会的分業を取り結ぶための機能のことですから、正しいとか公平とかは直接関係ありません。
市場は、民主政治と同じく正しさを実現するための装置ではなく、誰もが利益を上げられる可能性と誰もが損失を被る可能性があるという意味においてのみ公平なのです。
虚偽情報による操作やインサイダー情報を使った取り引きを規制しても、判断力を含む情報落差が解消されたり、使える資金の落差は解消されるわけではありません。
(不正取引を監視・摘発する組織が公平という保証もありませんが..)
昨今の変化にことさら驚くこと(情報)のほうが「恐ろしい時代」を招くことになるかもしれませんね。
「近代世界」は、表層は変わっても、根底は何も変わっていないのです。