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Kは基本的にはレッテルは貼るべきではないだろうと思っている。
しかし、用語というのはあっても良いし、用語によって「ある種の人を表現する事」は可能だろうとも考えている。本来「用語」に貴賓はなく、Kなどは「アホ」を自認しているくらいであるが、要はその用語を用いられた人がどのように受け取るかが問題であり、気にしなければ「用語は状況の省略であり、あったほうが良い」とも考えられる。
で、ここは雑談版なので「冗談」と思って笑って受け取ってもらえれば良いのだが・・・
「アッチラ」とは「あちら側の人」と言う意味で「あっち だ」が「あっちら」となったと考えていただきたい。
これだけでは、何のことだか分からない「あちら側」とは?という疑問があって当然である。
あちら側と言うのは「世の中を悪くする考え方」という意味である。
特徴とすると「善悪判断は避け、理屈だけで割り切ろうとする」
「道徳と言うような観念的で説明しにくい概念は議論から排除する」
「議論は好きだが、言葉を組み立てるのが好きなだけで、本質を考えるのではなく、理屈をかんがえる傾向が強い。」
「法律の意味合いを考えるのではなく、文字面を考える傾向が強い」
「良い方向を考えるのではなく、理屈に合致する方向を考える傾向が強い。そもそも、良い方向という概念を否定する。」
このような人は能力が高く、知識も広く深いので善悪とか道徳心というような分野を否定してしまえば、自分の土俵で議論を進められるので優位であるから、議論では勝率が高い。
しかし、このような人の考え方は「社会を悪い方向に向かわせる」原因となり得る。人と言うのは「楽なほうに進み、澱んで腐る」水は低きに流れるのである。
人が楽になれば良い事ではないか。は、ある意味では正しい、しかし、人間と言うのは「生活のためには一定の活動を必要とする」
一人の人を上げ膳据え膳で楽をさせると言う事は「多くの人が苦労をする」裏返しなのである。
しかし、アッチラは「自分は楽をする側に回る能力を有している」ので、裏返しの事情などは軽視するし、言葉巧みに誤魔化そうとする。論証義務を持ち出し却下しようとする。
アッチラが実際に「あちら側」に染まっているかは別にして、主張が「結果論としてあちら側に優位なデジタル思考の文章(文字面)主義に陥っている」上に「改善とか改良という視点が欠如している」のである。(改善も改良も、方向性に「良い」と言うのが個人的思考として却下する)
上記に当てはまる者は今後「アッチラ」と呼ぶべきである。「アッチラ〜」でも可である。
一応書いておくがこの用語が「特定のHN」に近いとしても偶然である。白々しいと思うのは個人の勝手であるが、用語に善悪などはないのである。