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(回答先: されど、「彼ら」は存在証明されていない。 投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 10 月 19 日 04:08:27)
>この点の指摘を、既にしていますが、この点に関する回答は頂いていません。
経済論理や政治判断に“彼ら”を持ち込む必要はありません。
ですから、私が書いている経済論理や政治判断の“内”には“彼ら”いないと書いているでしょ:「「政治」や「経済」については、現実の論理で説明していますから、“彼ら”の存在は直接関係ありません。(“彼ら”が設定している制度や“彼ら”が流布している思潮は対象にしています)」
>◆◆「彼ら」を「有力国際金融家グループ」と言っても、同じことです。
>むしろ、歴史は、絶対権力者の子孫同士の軋轢や、下克上など、恒常的な権力の維持
>を否定しています。力は、生活レベルの経験では、内部の分裂に向かうことを示して
>います。
「有力国際金融家グループ」の構成が変動していないとは言っていません。
また、“彼ら”は、政治国家には直接関わらず(“代理人”を使う)、経済社会で生きる(ここでも“代理人”を使いますが..)ことを好むようです。
“彼ら”の支配力の源泉は、思想であり、法・制度であり、直接的には保有しない政治権力ではありません。
思想や法・制度は、自然から生み出されるわけでも、天から降ってくるわけでもありません。誰かが考案しているものです。
そのようなものが、それほどの差異性がない内容で“世界化”している理由はなんだと思いますか?
「近代」の資本制経済社会であっても、様々な思想・法・制度で動かすことができます。
(誤りだらけの経済理論があれだけ流布している理由は経済学者が怠け者だからというわけではないでしょう。すみやかに流布するものと流布されにくいものを峻別している主体がいるとは思いませんか?)
>◆◆根源的人間思考自体が、このような堂々巡りであることは、ゲーテルによって、
>証明されていますが、「生活世界レベル」の議論、つまり、「政治」「経済」におい
>ては、コモン・センスを働かせて、「常識的に一般に存在が認められている」ことを
>事実として、推論することが世間の倫理です。
「生活世界レベル」だとか「コモン・センス」って、何ですか?
“近視眼”や“権威からの受け売り”で物事を見て考えるようなもの、と言えないこともない主張ですよ。
そうは言っても、私は、「常識的に一般に存在が認められている」範囲で説明をするよう心がけています(笑)。