★阿修羅♪ > 雑談専用15 > 274.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
伊豆利彦さんから【日々通信 いまを生きる 第176号】が送られてきた。
それによると、有名な「私の個人主義」は衆議院選挙に立候補した友人で文学者である馬場蝴蝶の後援文集に掲載されたものだそうだ。「私の個人主義」は若い頃読んだものだが、そういった経緯についてはとんと、記憶にない。初めて知ったような気がする。
昨日、今日のことは忘れても、若い頃のことはたいていのことは覚えているつもりだったが、その自信もどこかへ吹っ飛んでしまった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
>>日々通信 いまを生きる 第176号 2005年10月17日<<
http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2005/10/176_20051017_8f63.html
いまよみがえる夏目漱石(その2)
今日、鎌倉市長選挙の告示で、いよいよ、仲地さんの出陣式を迎えた。漱石を何十年も研究していて、この頃、ひどい世の中になって、ますます漱石の精神の求めるようになっていた私にとって、仲地さんが市長選挙に立候補されるのはうれしいことだ。
孫が市長選挙に立候補するとは、漱石は驚いているかもしれない。しかし、喜んで祝福し、励ますことだと思う。
漱石は1915年(大正3)友人の文学者馬場蝴蝶が衆議院選挙に立候補したとき、堺利彦らとともに推薦人になり、推薦状の筆頭に名前を出している。また、その後援文集の巻頭に、有名な「私の個人主義」を掲載している。
漱石は社会的不正に対しては徹底的にたたかうことを求めた。このたたかいが社会を進歩させるのだと、松山中学の教師をしていた二十代に、学校の校友会雑誌に書いている。この思想はその生涯を貫いている。
「坊っちゃん」はよく知られているが、その頃書いた「野分」や「二百十日」はさらにはっきりと金力と権力がむすびついて貧しいもの、不幸なものをいためつける社会に対するたたかいを宣言している。
「二百十日」の圭さんは、金力や権力の持主は「奇麗な顔をして、下卑(げび)た事ばかり」やっていることを糾弾し、「我々が世の中に生活している第一の目的は、こういう文明の怪獣をを打ち殺して、金も力もない、平民に幾分でも安慰を与えるにあるだろう」と言った。圭さんはこれを「文明の革命」と言っている。
漱石は「中味と形式」という講演で、中味が変われば形式も変わらなければならない、世の中が変わり、人々の暮し方や考え方が変われば、政治や法律なども変わらなければならないと主張した。
それを変えるのは学者でもなければ既成の政治家でもない。学者はともすれば外国の思想の受け売りをしたり、市民の生活の現実からかけはなれた理論をとなえたりする。既成の政治家は金力や権力と結びつき、既得権益を守ろうとする。
新しい社会をつくるのは、まじめにはたらき、いまの世の中の矛盾に苦しんでいる普通の市民だ。皆さんが新しい社会をつくり出す主体になることが必要だと講演の聴衆によびかけた。
当時はまだ普通の市民には選挙権もない時代だった。それから100年たって、鎌倉の町でまじめに商業をいとなみ、こまっている市民の味方として奔走してきた自分の孫が、仲間たちからおされて市長に立候補し、市民のための市民の市政を実現しようとしていると知ったら、どれほど喜ぶだろう。
漱石が亡くなったのは第1次世界大戦の最中、1916年12月だが、その年の新年に、自分は病弱でどれほどのことができるかわからないが、病弱なら病弱なりに、1年寿命が延びたことを感謝して、自分でできるだけのことをしたいと思うという言葉を前置きに、悲惨な戦争の現実について語り、軍国主義を論じた「点頭録」を『朝日新聞』に連載した。
いまの戦争は大変な犠牲を世界の人民に強要しているが、どちらが勝っても、その代償として大きな文明にももたらすものは何もない無意味な殺し合いである。ただ、この戦争の結果として、すべての国民を戦争に動員する軍国主義がドイツからはじまって、自由主義を標榜する英仏をもまきこんでいったことは悲しい事実だ。軍国主義は今後かなり長い間世界を支配することになるだろう。日本などは軍国主義に陥りやすい国だから用心しなければならない。
「私の個人主義」は世界大戦がはじまって日本が中国の青島を攻略し、「軍国日本」などということがいわれ、国中が勝利に沸きたっているときに、国家主義に反対して、個人の自由を基本とする個人主義の必要を説いたのだった。
軍国主義に反対し、個人の生活の権利と自由を主張した漱石は、あの戦争で大変な犠牲を払って実現した平和主義が否定され、平和憲法を改訂しようとする勢力が国会の多数を占めるようになった現実をどう思うだろう。漱石はあの国家主義の時代に、学習院の生徒たちの前で個人主義を説いたが、いまは、愛国教育がしきりに主張されるようになった。漱石が生きていたら、この日本をどう思うだろう。
漱石は100年の後に自分の思想が人々の血脈の中に生きて、社会を動かす力になることを求めると言った。生涯の最後のまとまった評論である「点頭録」は漱石の遺言のような気がする。
平和憲法を守り、憲法を生かす市政の実現を目指して奮闘する仲地さんのたたかいは、漱石の精神を今の日本に実現しようとするものだ。漱石はそれを喜び、激励し、支援するに違いない。
以上は、私が仲地さんの出陣式で話したことに手を入れたものだ。漱石を敬愛するものとして、私は仲地さんの勝利を心から願っている。
仲地さんの出陣式はあいにくの雨にたたられ、私も雨のなかで話したのだった。しかし、雨もやがて晴れ、晴れた秋空の日が来るに違いない。天候不順の折から、健康に気をつけて、日々を元気にお過ごしください。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
いまよみがえる夏目漱石の(1)にあたるのは
http://www.asyura2.com/0505/senkyo14/msg/948.html