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先に空耳で出てきた、
「多様性を追求する」新世代が、創る行為に積極的ではない(下流意識)
というものに関連するものであるが、
勉強とは、文明を共有することであり、学問は、文明を構築するものである。
といえるだと、思う。
だからやはり、「勉強」は、カテゴリごとに年齢に依存するものだと考える
だからやはり、「勉強」は、カテゴリ(段階)ごとに年齢に依存するものだと考える。
なぜなら、価値観などというものこそ、心理的経験に依存するものだからである。
数学的構築が実は一番に該当するのである。
あれこそ、価値観の積み上げなのである。
心で感じていかねばならない。そういう問題である。
学問というのは、理論構築をさし、勉強というのは、
学問というのは、理論構築をさし、勉強というのは、
価値観の共有をさすのだと思う。
学問をやるためには、まず、
「勉強」をやらねばならないのだと、
まずは、子供たちにそう伝えればよい、と思う。
「勉強」が、社会で生きていくことにどれだけ役立つか
いわゆる、「勉強」が、社会で生きていくことにどれだけ役立つかということを、
大人は、実感をこめて、子供たちに伝えていけばよいと思う。
これが、子供の目覚める経緯になれば、幸いだと思う。
ただし、「勉強」のできる人が、できない人をいじめている、
あるいは、冷遇しているという、コインの表裏の関係にある、
もうひとつの事柄については、
誰も、故意でそうしているわけではなく、
結果的に操作なっているという類の問題なのであるが、
子供たちから聞かれるまでは、
切り出さないほうがよいだろう。