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PCの調子が非常に不調で、どうもネットに繋ぐのも厳しくなりつつあります。本日リカバリーをしてみたのですが全く効果なしでドロップアウトかな?とも感じています。
ですから、Kの投稿がなくなっても心配しないで下さいね〜(まあ、心配する人もいないでしょうが・・・)
話はコロッと変わりますが、Kは「日本は一つの壁にぶつかってしまった」ように感じています。
本日、阿修羅において横路美菜さんと言う方が排除されたようです。Kが気がついたときはすでに投稿が削除されているようでハッキリとは分かりませんが、過去の主張を調べた感じでは「暴力団に関係しそうな人を実名で指摘し、問題提起をしたのではないか?」と思うのですが、これは、阿修羅にとっては「暴力団に睨まれる危機を招きますし、名誉毀損などで管理人さんへの法的措置になる可能性もありますし、場合によっては管理人さんの身にも危険が及ぶ可能性もゼロではない」ので措置については異論を唱える気はありません。
しかし、それが仕方ない措置と思わざるおえない状況については「日本が一つの壁にぶち当たっている例」ではないかと思うのです。ヤクザ・皇室・創価学会・差別などはタブーとして「問題提起がしにくい」という事実があるわけです。組織の前には個人の意見はあまりにも無力で「変な正義感は身の危険になる」ということです。
小泉改革や民主党が向かう方向として「支持団体からの決別」という方向があり、これはKも「個人の自由な投票権の侵害になると思われるあらゆる要請は基本的に規制すべし」と考えていますので「是非は別にしてひとつの方向」だろうと思います。しかし、庶民の自由な投票権の確保(企業や労組などの組織票を規制)をすると「特定の集団の投票の影響力が増す」というジレンマに陥ってしまいます。
個人的人権に配意するのは一つの方向ですが、あらゆる企業な思想団体や宗教団体に対しても同時並行的に「個人的人権の配意をさせる」ようにしなければ全体の社会では歪が生ずることになってしまう訳です。しかし、手を付けられるところから始めなければ永久に改善しないのも事実ですから、ジレンマとなってしまうのですね
で、国勢調査に協力しない人も増殖していますし、働かない人(ニート)も増殖していますし、結婚しない人や子供を作らない人も増殖しています。
例えば「天下り」に対しては多くの庶民が「内容の前に過剰な拒否反応を示します」
Kが聞いても「これは許される範囲ではない」と思う酷い天下りもあるのは確かですが、多くの天下りは「役職の椅子を空けるために必要悪として行われ、天下り後の待遇も、まあ許される範囲だろう」と思われる例もあるのですが、多くの人は「絶対悪」と評価しています。
マスコミの誘導もあるのでしょうが、日本の庶民全体的に「許容範囲」とか「寛大な心」というのが失われてきています。デジタル思考の罠についてはKは前から問題提起していますが、日本全体の流れは確実に悪化しています。郵政民営化においては「公務員=悪」というイメージがあり「損得より悪の排除」という志向性があったのだろうとKは分析しています。
「個人主義」と「組織重視」というのは「人間が生きていこうとする社会」においては単純な二原論(デジタル思考)で割り切れるようなものではないのですが、現在はそれを「無理に割り切ろうとしているので、組織の中の構成員としての義務」という要素が忘れ去られようとしているのでしょう。
その中では「様々な他人の苦労があって今の自分が生きていける」という正論も切り捨てられますし「ともかく自分の耳障りになる意見は排除」という流れが、すべての場所で行われるようになっていく気がします。
共謀罪なども問題になっていますが、最終的には「権力者の主観に照らして、異なる意見は排除される」という流れが、小集団的な各地で起こっているわけです。それは、郵政選挙の時の「反対派議員に対して小泉氏が行った措置」に如実に表れていると思います。
そこを打破するには「それが間違いだと指摘する良識派の集団が力を持つ事」が必要ですが、集団が「異分子を排除するなら、それはその集団も所詮は同じ」ですし「異分子を排除できないようなら、集団の主張は烏合の衆のように統一性のないものになる」ので力は発揮できない事になります。対処法を無理に示すならば「宗教とか思想とか、問題点とは関係ないような共通点を作り上げて、その一点において結束させる」という「組織重視の洗脳的な手法」が有効になり、これでは堂々巡りになってしまいます。
この壁はかなり乗り越えるのは困難だろうと思いますが、日本はこれ以外にも「世界・アジアの中の日本のあり方」においても「国家財政」においても大きな壁にぶち当たっています。
何か、滅びは近いという気がします。