★阿修羅♪ > 雑談専用15 > 143.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: Re: 人がこの世にあるのは、仙人になる為? 投稿者 うがったの味方 日時 2005 年 10 月 06 日 00:54:26)
うがったの味方さん、こんにちわ。私の投稿の表題が拙かったようですね。「人がこの世にあるのは、仙人になる為?」の「?」が、誤解を招いてしまったようです。それに、文末の「ダトイイガ」も。
私自身はまだ不食の実践はしておりません。しかし、本を読み終わった日から1日1食に切り替えました。以来、ほぼ2ヶ月になります。体重はいわゆるベスト体重まで下がり、便通も快適です。確かに食い過ぎていたのだなと実感しています。しかし、今すぐ不食を実践するところまでは行けません。そこで考えた内容を投稿してみた訳です。
人体には消化器官がある訳ですから、食べることにも意味があるのだろう。とすれば、食べないこととの関係はどうなるのか?それを人生のプロセスとして位置付けることで理解できないかと思いました。仙人という表現に重要な意味を与える積りはありません。イメージしやすいから使ったまでです。
山田鷹夫さんの思想は難しいとは思いませんし、彼の言わんとするのは結局「私は食べなくても生きてるよ」という事実、体験だと受け止めています。そして、それ故に、私の受けた衝撃は大きかったのです。困難な修行や、高度な思想であれば、凡人には近づき難いものとして敬遠していたでしょう。大乗、易行の道だからこそ惹かれた訳ですし、他の人にも紹介しようという気になったのです。
疑問符や不信の表現を使ったのは、事柄があまりに根源的で常識に反する為、多くの人が容易に受け入れようとしないのではと心配したからです。しかし、この阿修羅に関する限り、それは余計なことだったようです。
うがった味方さんのご批判は、その通りだとして受け止めさせて頂きます。
尚、全体の意識を統一するという点には、やや違った考えを持っています。統一という言葉を使いたくないのです。その事は、またの機会に。