★阿修羅♪ > マスコミ批評2 > 946.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 六十三年ぶりの帰国元日本兵 投稿者 13代目 日時 2006 年 4 月 20 日 21:56:03)
□元日本兵 63年ぶりに親族と対面 涙で抱き合う|毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060421-00000000-maip-soci
元日本兵 63年ぶりに親族と対面 涙で抱き合う 盛岡
元日本兵の上野(うわの)石之助さん(83)=ウクライナ在住、岩手県洋野町出身=が20日、盛岡市で親族と63年ぶりに対面した。涙で弟や妹と固く抱き合い、「会えてうれしい」と万感の思いを伝えた。上野さんは太平洋戦争中の1943年に樺太(サハリン)に出征。戦後も現地にとどまったが、58年から消息不明になり、00年に戦時死亡宣告が出されていた。【林哲平】
◇言葉短く「運命だった」
「ただ、運命だったと思う」。旧陸軍兵士の上野(うわの)石之助さん(83)は、ほほ笑みに時折ため息を交えながら、太平洋戦争、米ソ冷戦と時代に翻ろうされた人生を、ごく短い言葉で振り返った。
上野さんは20日午後、63年ぶりに古里の岩手県に戻った。県庁の知事応接室で待ちかまえていた弟の左舘(さだて)丑太郎さん(81)、妹の下城ハナエさん(75)、上野タケさん(69)らに歩み寄り、「私のかわいい妹たちよ」とロシア語で語りかけ、一人一人としっかり抱き合った。左舘さんは握りしめたハンカチであふれる涙をぬぐった。上野さんも瞳をぬらし、唇を震わせて再会の喜びをかみしめた。
記者会見で上野さんは「まだ感動で言葉が出てこない。まずは両親の墓参りをし、親族に会いたい」と話し、つらい日々をどうして乗り越えたのかとの質問には「どんな状況であっても生きていく。それしかないと思う」と気丈に答えた。弟の左舘さんは「なんとも言えず、涙だけです」と言葉少なに喜びを語った。
上野さんは髪こそ真っ白だが、長旅の疲れを感じさせない元気な足取り。日本語は話せなくなったといい、会話はすべてロシア語だったが、増田寛也知事が日本語で話しかけると、通訳を待たずに笑顔でうなずいた。
県などによると、上野さんは戦後、樺太(サハリン)の製材工場などに勤めた後、1960年ごろにウクライナの小都市に移った。現地の妻との間に1男2女をもうけ、今回の一時帰国には長男のアナトリーさん(37)も同行している。
上野さんは20日夕に生家がある洋野町に帰郷。両親の墓参などをして、28日に日本をたち、ウクライナに戻る予定。【林哲平、念佛明奈】
(毎日新聞) - 4月21日9時55分更新