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発信箱:どのツラ下げて…=山田孝男(毎日新聞2006/1/30)
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/hassinbako/archive/news/2006/01/20060130ddm002070087000c.html
毎日新聞西部本社(北九州市)が発行した1945年8月16日付朝刊は1面の一部と2面が真っ白だった。当時の新聞は表裏2ページしかない。前日まで焦土決戦をあおった揚げ句、「国民も今日から転換するのだなどと、どのツラ下げて言えた義理か」という高杉孝二郎編集局長の判断で終戦勅語と行政告示しか載せなかった。彼はまもなく社を去った(毎日新聞130年史)。
検察の尻馬に乗った鈴木宗男バッシングを競いながら、今や彼を評論家としてもてはやすメディア。前日までホリエモンをもてはやしながら、検察次第で怒とうの堀江たたきに走るメディア。むかし軍部追従、いま検察追従で、変わらぬものといえば俗論迎合の卑しさしかないおまえが、どのツラ下げて明日を語り、針路を説くのか。そう感じている読者が少なくないと思う。
小泉純一郎首相はホリエモン選挙に肩入れした責任を問われて「批判は甘んじて受けるが、メディアはどうなのか」と切り返した。「新聞批判は甘んじて受けるが、テレビ、週刊誌こそ」と言ってしまいがちな私どもと似ている。
いまや政治に対する観察者、批判者であるという以上に、政治権力を生み出す装置となった感のあるメディア。その無節操な暴走癖、過剰な存在感・圧迫感と加害性を省みず、「悪いのはオレではない」と逃げ腰の醜さが読者の失望を誘っているようだ。どうにも旗色が悪いが、毎日新聞は署名記事を原則にしている。だから許せとは言わない。白紙の新聞を出す予定はないが、それを出した先達の存在を肝に銘じて進みたい。(編集局)
毎日新聞 2006年1月30日 東京朝刊