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□金持ち,勝ち組,インテリはテレビなんか見なくなった/大橋巨泉 [日経ビジネス]
http://nb.nikkeibp.co.jp/free/tvwars/interview/20060127005218.shtml
――最近のバラエティー番組を見て感想は?
大橋 僕なんかが今のテレビを見ると、何でこんな番組を作るんだろうなと思っちゃう。
▼編集技術の進歩が番組をつまらなくした
――なぜ、つまらなくなってしまったのでしょうか。
大橋 1つの原因は、編集技術の大進歩です。僕がテレビにかかわり始めた1950年代後半から60年代は、編集というのはまず不可能だった。「11PM」も初期は毎晩すべて生放送でした。
69年から71年までやった「巨泉・前武 ゲバゲバ90分」は、VTRはあったけど、編集は簡単にはできなかった。どうしても編集したいと思ったら、台詞とかバックの音楽を頼りに、はさみを入れてテープでつなぐ名人芸が必要だったわけですよ。
ところが、80年代に入ると、モニターを見ながら切れるようになった。それで、ディレクターはいいとこ取りをするようになったわけです。
僕の番組だと83年に始まった「世界まるごとHOWマッチ」がそうですね。あの番組はビートたけしがレギュラーで、彼が放映できないようなことを時々口走るわけです。基本的にたけしにマスクをさせるのはよくないから、自由にしゃべらせようというのが僕のポリシーだった。ビートたけしは天才だから、制約なしにやらせれば面白い。それを後でディレクターが編集するわけです。
でも、僕は、たけしは例外として、あとは生と同じようにやっていたんですよ。例えば、「クイズダービー」は、30分番組で中身が26分だったんですが、絶対に27分しか撮らせなかった。今そういう伝統が残っているのは「徹子の部屋」ぐらいじゃないですか。黒柳さんも僕と同級生だから、あの人もちょんちょん切られるのが嫌なんでしょう。
編集できるようになると、まずディレクターにメリットがある。彼らは自分の思うように、まるで映画監督のように番組を作れるわけですから。そして、タレントにとってもメリットなのは、放送禁止用語などを気にしないで言いたいことを言って、後でディレクターに切ってもらえる安心感ですね。
だから、いろいろな番組に同じようなタレントが出るわけですよ。スタジオからスタジオへ、はしごですよね、あの連中は。1日3本、4本、こっち行ったりあっち行ったりして、それをディレクターがちょん切るわけ。
ただ、僕は映画は監督のものだけれど、テレビはホスト(司会者)のものだと思っています。だから、その辺のあんちゃんディレクターに、はさみを入れてほしくないんだな。僕は自分のテンポ、自分のリズムで司会をしているわけです。司会というのは会を司ると書くんだから。マスター・オブ・セレモニーだからね。
米国の「ラリー・キングショー」「トゥナイトショー」といったトークショーは、今でも全部生です。でなければ、アドリブの良さが出ない。日本がやっているのがなぜつまらないかというと、タレントのアドリブで番組を作っているのに編集するからですよ。
▼「バラエティー」は、裸を見せるストリップ
――外国には日本のような番組はないのですか。
大橋 バラエティーと称する、わけの分からないものは日本だけだからね。外国では台本がきちんとあるシチュエーションコメディーと、ライブだけでしょう。
――ゲバゲバ90分はどんなタイプの番組と言ったらいいのでしょうか。
大橋 台本通りの番組でしたよ。プロデューサーの井原高忠さんはアドリブを許さなかった人だからね。ゲバゲバでもアドリブを言っていいのは僕と前田(武彦)さんと欽ちゃん(萩本欽一)だけだったんです。
――今のバラエティーを見ていると、芸能人の内輪ネタが多いですね。
大橋 今のバラエティーを誰が面白がっているか分かる? 10代、20代の子供とおばさんですよ。この人たちは芸能界の内々を一緒に味わっているんだよ。それで芸能界の内幕をちょっと共有したつもりになっている。でも、本当は共有なんか何もしていない。
僕はストリップと呼んでいるんだけど、自分たちの裸を見せてやっているわけですよ。僕に言わせれば、それはタレントとしては自殺行為なんだ。だって、脱いじゃったら、あとは何を見せるんだよ。
我々の頃はもっと普遍的な笑いとか討論を求めていって、刺し身のつまでちょっと内輪ネタを入れたものでした。しかし、今はもう最初から裸になっちゃっているんだからね。タレント側がそれに甘んじているところがある。片岡鶴太郎はあんまりバラエティーなんかには出なくなっちゃったけれど、それに気がついた人なのかなという気もする。
一方、ディレクターとかプロデューサーとか使う側にしてみれば、いくらでも代わりがいるから、裸になる奴でいい。吉本なんて、お笑いタレントがあと1000人ぐらいいるんじゃないか。“消耗品”だから、入れ替わりは早いよ。
時々、(島田)紳助の番組に出るけれど、彼が「巨泉さん、半年後にもう一度来たら、この番組に出ている3人のタレントはもういませんよ」なんて言ってたな。
――「タレント大量消費時代」に入ったわけですね。
大橋 消費されてもしょうがないぐらいの能力なのかな。単なるお笑いタレントというのは、落語とか漫才とかと違って芸がない。だからキャラクターを切り売りしているわけだ。
――これを続けていっていいのでしょうか。
大橋 番組は視聴者のデマンドでできるわけだから仕方ないでしょう。はっきり言ってしまうと、今の日本人の民度に合っているんでしょうね。
▼スポンサーが複数だと「数字」しか見なくなる
――「11PM」は、今の深夜バラエティーとは質的に違う番組でしたね。
大橋 民度の違いとは言いたくないけど、時代の違いでしょうね。あの頃は、マージャンとか競馬を人前で語るなんていうのは、一流の日本人はしなかった。その裏文化を番組で表に出したわけですよ。
だから、深夜でしか許されなかったんでしょう。今は真っ昼間からギャンブルの話でも何でもしているけれどね。あの当時は、やっぱりテレビが王様になりつつある時代だったから、時代の壁に風穴を開けるにはテレビが一番効果的だったと思います。
――視聴率は気にされていましたか。
大橋 視聴率という問題もあの頃と今では全然違う。今、1社提供番組なんて、ほとんどないでしょう。
1社提供がまだあった時代は、スポンサーのイメージとか宣伝の方向性とかが大きなウエートを占めていました。だから、「視聴率なんか取らなくていい。とにかく下品な内容はやめてくれ」という要求もあった。
でも、今はそうじゃないんだよ。4社も5社も6社もスポンサーに乗っているから、逆に数字しかなくなっちゃうんだ。それでは、昔みたいな個性的な番組はなくなるよね。だから、面白くないんだ。タレントを集めて騒ぐだけでね。
――当時と今を比べると、技術も、民度も、視聴率の意味合いも、全く違うと。
大橋 一番違うのはテレビの重要度だよ。僕らの頃はテレビは神様だった、王様だったんだよ。今はテレビはワン・オブ・ゼムだよね。インターネットもある、Vシネマもある、DVDで何でも見られる。そういう時代にテレビなんか見ないよ。だから、結論を言うと、僕なんかはやっぱりいい時代にいい職業に就いたんだろうね。
今、活躍しているタモリやさんまや紳助も、彼らは彼らで時代に合っているんだろうから、いい時代に生まれたんじゃないの。ただ、もったいないのは、たけしだよね。
――なぜですか。
大橋 たけしの番組、もうつまんないじゃない。コントなんかやらせたら、本当は絶品なんだけどね。でも、今は効率が悪いからやらないもん。
テレビで金を稼いで、映画を作りたいっていうのが、彼の本音でしょう。それを許しちゃってるから、日本のテレビはつまらないんだね。「たけしの何とか」って言えば、それだけである程度数字が取れる。だから、名前を借りちゃうんだよね。もったいないよ。
▼テレビは「貧困層の王様」になるはずだ
――たけしさんが映画に力を入れるようになったのはなぜでしょうか。
大橋 映画がよほど良かったんだろうね。さっき言ったように、本来、映画は監督のもの、テレビはホストのものでしょう。でも、テレビはホストのものではなくなっちゃった。
だから、彼は映画を作ったら、もうやめられなくなったんだよ。第1作「その男、凶暴につき」の時、僕がやっていた「ギミア・ぶれいく」という番組でメーキングまで作って紹介したんです。彼はまるで子供が新しいおもちゃを見つけたみたいだったね。僕はそんなに熱中しているたけしを見て、この男は映画へ行くなと思った。
日本のテレビにとってはマイナスだよね、あれだけの男だもの。ただ、彼にとってはいいんじゃない。
――テレビが日本の民度低下に影響しているということはありませんか。
大橋 その見方は、すごく皮相的だよ。(米国では)ビル・ゲイツもブッシュ家も、ニュースやスポーツ中継以外、テレビなんか見てませんよ。(日本も)勝ち組とか金持ちとかインテリがテレビを見なくなっただけなんですよ。負け組、貧乏人、それから程度の低い人が見ているんです。だから、芸能界の裏話を共有した気になって満足しているんです。
我々の頃はみんなが見ていた。だから、30%、40%の視聴率が取れた。でも、今じゃ、僕だってテレビなんか見ないもん。テレビを見ている暇があったらインターネットを見た方が、面白い話がたくさん出てくるよ。テレビは今に「貧困層の王様」になるはずです。
(聞き手:日経ビジネス編集部、写真:村田 和聡)