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http://ves04213.cocolog-nifty.com/school/2006/01/post_1ce3.html
ヤメ記者さんからTBをいただいて、再び北海道新聞がおわび 「道警の泳がせ捜査失敗」記事について書きたい。このサイトのテーマともかけ離れてるし、また長い文章になりそうだがご容赦いただきたい。
道新がなぜあんな大げさな謝罪文を載せたのかは謎だが、適当なところで手を打たなければ自分自身も大変になるという事情があるのだろう。
私は道立高校の教員だが、道新から追求される側の立場に立ったことがある。道から学校に渡る予算の何%かを道教委の指示に従って、教育局に上納するというシステムについての追求だ。当然、あってはいけない金で「バック」という隠語で呼ばれていた。
常套手段として用いられたのは「空出張」だった。実は私も協力したことがある。事務長から困った顔をして「帳尻が合わなくて、はんこ貸してもらえないだろうか」と頼まれると、「ああいいですよ」と快く応じていたものだ。
道警裏金問題の内部告発者も言ってたが「金のことについてウダウダ言わない」というのが美徳のような雰囲気もあったと思う。 新聞紙上で追求がはじまったとき「うちの学校にもバックはあるんですか」と事務長に聞いた。
「道教委のシステムだ。事務を扱ってれば誰でも知ってる。」
と言われショックを受けたのを覚えている。
あの時の幕引きも「私的流用はなかった」だった。道新の社説で「必要な経費は、裏金でつくるのではなく、しっかりした予算を」というようなことが書かれており、「何だこの腰砕けは」と思ったものだ。裏金に私的流用がないわけがない。領収書がないんだから。
道新のかなり上のポストにいる方と「故郷つながり」で酒を酌み交わしたことがあった。驚いたことに、この不正問題について「そんなことがありましたっけ?」と聞き返された。
読者側から見ると、全社一丸となって取り組んだ一大プロジェクトのような印象があるが、担当部署と記者の小さな取り組みのようなものらしい。これは推測だが、中心になった記者がいなくなると途端に推進力を失うのではないだろうか。
道教委を追っていた記者は釧路へ転出したと聞く。新聞社としてはこれ以上追求しても自社にメリットはないと判断したのだろう。
これが道教委では
「跳ねっ返りの記者が、誰でも知ってることを、周囲が制止するのも聞かず暴き立てて大騒ぎにしてしまった。度を超えて、釧路に左遷された」
という解釈になる。差し障りがあるので情報源を書けないが、道教委の中枢にいる人から直接聞いた話だ。
でも、記者の暴走であそこまで、できるというのは解釈に無理があるだろう。
道議会や道教委のような取材源と新聞社は持ちつ持たれつの関係にある。だから、適当なところで記者を担当から外して転勤させ
「いやー、すみませんでしたね。飛ばしましたから、もう大丈夫です」
で手打ちをするパターンだろう。
ただ、今回はそれが通用しなかったようだ。
道警が攻勢に出てきた〜道新謝罪問題で
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/f407e0cb81d6fc4d83e53085369b7740
不正を闇に葬ろうとする道警の態度は論外だが、「伝聞に基づいた内容を、記事化」というのは、道教委裏金問題の時に私も感じた。記事の内容に深みがなくなった頃、撤退したように思う。今回も取材の限界だったのではなかろうか。
新聞社も営利企業である。北海道新聞は函館新聞に対する営業妨害
http://www2.kobe-u.ac.jp/~sensui/H9-2_10-6/98.feb/980205.htm
をとってもえげつない方法でやった実績がある。決して公正な企業ではない。新聞記者の正義感とは別に色々な計算が働いているのだろう。