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産経新聞については堕落というよりもともと「低級・俗悪・軽薄」新聞かも、というところだが、森田実先生は許さない。
2006.1.9(その2)
2006年森田実政治日誌[21]
2006年元旦の社説にみる大新聞の堕落【5】――産経新聞は軽薄な日米同盟賛美・反中国主義・靖国賛美の歌を高らかにうたうのみ
「世に浅薄なる楽天家は多し、些(ちと)の虚名を売り、些の栄華を得、些の善事をなして、自ら安んずることを傲(ほこ)るものは多し」(北村透谷)
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産経社説のタイトルは〈新たに始まる未知の世界 アジア戦略の根幹は日米同盟〉。
産経社説は、誤った時代認識の百貨店である。始めから終わりまで、誤認と錯覚と空論と独断に満ちている。
第一の誤り。「日本経済はついに長い低迷を脱した」と書いているが、これは一種の錯覚である。景気がよくなってきたのは東京と一部大都市地域だけのことである。日本国民の大多数が生活する地方では長い停滞が依然としてつづいている。
第二の誤り。「総選挙での自民党の圧勝は国民が小泉純一郎首相の改革を強く支持したことを示す」と書いているが、総選挙で自民党が圧勝したことは事実にせよ、小泉連立内閣を構成する自民・公明両党の小選挙区における得票率が50%未満だったという事実をどう説明するのか。国民投票なら小泉内閣は負けたのだ。自民党の圧勝は、国民の支持ではなく、自公両党・創価学会が小選挙区制の特長をうまく生かす選挙戦略をとったことにあった。選挙協力もできない野党の愚かさに助けられた。自公両党の小選挙区での得票率が50%未満だった事実は、小泉首相の郵政民営化の主張が国民から支持されなかったことを示すものだ。この事実まで否定してはならない。
第三。産経社説は「確かに日本は分水嶺を越えたのだ」と述べているが、この認識は思い過ごしである。日本国民が2005年9月11日の総選挙で大きな過ちを犯したために、小泉首相という野心だけを過剰にもつ奇異な政治家を英雄にしてしまった。だが、これはマスコミの大合唱がつくり出した国民の錯覚によるものである。日本はより深刻な迷路に迷い込んだのである。これからこの錯覚を乗り越えなければならない。
第四。アジア外交について「小泉首相が首脳会談再開のため、中国や韓国と取引・譲歩しなかったことは正しかった」としているのは、大きな間違いである。小泉首相は国際関係の改善を優先させなければならなかった。小泉氏の個人的な意地など、アジアの平和に比べれば些細なことである。些細なことにこだわり、大を失うようなことは、首相は、してはならないのである。
第五。「日米同盟の死活的重要性もアジア外交の重要性に勝るとも劣らない。いや、アジア外交を進める上でも、根幹にあるのは日米同盟である」という。これも誤っている。現在の日本は、日米同盟の枠のなかに深入りしすぎた結果、外交も防衛・安全保障も経済政策すらも、その決定を、米国政府にゆだねてしまった。日本はもはや独立国とはいえないのだ。産経はじめ大新聞は、自ら、日本を米国の従属国にした小泉内閣を熱烈に支持してきた。これが、わが国を乱した。とりわけ産経をはじめとする右翼ジャーナリズムの罪は大きい。
いま、日本の政治がきびしく反省すべきことは、日本を米国の従属国にしてしまったことである。外交・防衛・経済政策など国政のすべての重要な決定を米国政府にゆだね、日本の主権を自ら放棄してしまったのは、小泉政権である。この小泉政権を、国民のかなり多数の人々が、よい政権と思い込んでいる。われわれ国民はこのことをきびしく反省し、独立国へ向けて再出発しなければならない。従属国日本を後世に、われわれの子孫に残すことだけは絶対にしてはいけないのである。
産経新聞が従米右翼イデオロギー新聞になってしまったことは惜しまれてならない。もう反省する力もないのかもしれないと思うと残念である。21世紀初頭の新撰組にならないことを祈るのみ。
2005.12.5(その2) 森田実政治日誌[486] 今日の日本のマスコミは小泉独裁政権の生みの親であり、用心棒である