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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu110.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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保守化する市民ジャーナリズムと体制の広報屋化した
既存の商業ジャーナリズムは敵対関係になるのか
2006年1月5日 木曜日
◆炎上する記者ブログ 1月5日 ネットは新聞を殺すのかブログ
http://kusanone.exblog.jp/m2006-01-01/
第3章
一般市民の情報発信がジャーナリスティックな活動を始める中で、既存のマスメディア企業はどう対応すればいいのだろうか。
市民ジャーナリズムと既存の商業ジャーナリズムは敵対関係になるのか。それとも、それぞれが強みを発揮するいい意味での補完関係になるのだろうか。
その答えは、1つには既存ジャーナリズムが市民ジャーナリズムとどれだけ対話するかにかかっている、とわたしは考えている。既存ジャーナリズムは権力の番人ではなく、権力側の存在になってしまったと多くの人は感じている。そう考える人が多ければ多いほど、市民ジャーナリズムは既存ジャーナリズムに対して牙をむくだろう。既存ジャーナリズムが権力側でなく市民側に立っていると広く認識してもらうためには、まず市民との対話を始めなければならないと思う。
また市民ジャーナリズムと既存ジャーナリズムの今後の関係を占う上でのもう1つの重要なポイントは、既存ジャーナリズムが新しい時代にあったビジネスモデルを構築できるかどうかだと思う。日露戦争以来変化していないといわれる新聞事業のビジネスモデルは、当然のことながらひずみが生じ始めている。ここまで長い間、1つのビジネスモデルがよくもったと言うべきかもしれない。それだけすばらしいビジネスモデルだったのだろうが、インターネットという新しい情報流通の仕組みが普及したこともあり、そろそろ新しいビジネスモデルが必要な時期にきていると思う。
もし新しいビジネスモデルが構築できないのであれば、経営状況が悪化することになるだろう。そうなれば経費が削減される。過度の経費削減は、ジャーナリズムの質の低下を招きかねない。既存ジャーナリズムの質が低下すれば、市民ジャーナリズムによる糾弾を招くことになるだろう。いい意味でのライバル関係ならいいのだが、単なる誹謗中傷、足のひっぱり合いなどの不健全な関係になりはしないだろうか。
市民が情報を発信する際のマナーやルールがまだ完全に確立していない段階で、価値ある情報を探し出す優れた仕組みがまだ完全に完成していない段階で、既存ジャーナリズムが弱体化すればどうだろう。一時的にジャーナリズムが機能しない時期がくるのではなかろうか。そのことは社会にとっての悲劇となりはしないだろうか。
こうした状況の中、既存の商業ジャーナリズムに所属する自分は何をすればいいのだろうか。何をしなければならないのだろうか。
わたし自身、明確な答えを持っているわけではない。しかし対話の促進と、ビジネスモデルの確立のために自分のできることはすべきだと思っている。
立ち止まっているわけにはいかない。とにかく動き出さなければ。特に深い考えもないまま、見よう見まねでブログを始めることにした。
日本のブログブームの始まりは2003年の秋ごろからといわれる。それ以前にも米国製のブログ作成ソフトを使ってブログをやっている人たちはいたが、一般ユーザーにまで普及し始めたのは大手プロバイダーなどが無料のブログ作成・ホスティングサービスを始めてからである。わたしもこの機会に最初のブログを立ち上げ、半年ほどした2004年5月に参加型ジャーナリズムの問題に特化した「ネットは新聞を殺すのかblog」というブログを別に立ち上げた。
記者が実名でブログを書いていいのか。記者であることを明かすべきなのか。所属する組織の許可を得るべきなのか。そうしたコンセンサスがまったく確立していないにもかかわらず、とりあえずこの新しいツールを使って情報発信を始めることにしたのだ。
わたし以外にも、何人かの記者が同じ時期にブログを立ち上げていた。その動機はそれぞれ異なっていたとしても、組織を通じてではなく自分の言葉で語りたいという思いは共通していたのだと思う。
われわれプロの記者を迎えたネットの住民たちの態度は、必ずしも友好的ではなかった。ネット上に鬱積していたマスコミに対する不満、不信感といった感情が、記者運営のブログのコメント欄に雪崩のごとく押し寄せることがしばしばあった。マスコミはこれまで読者、視聴者との双方向の対話をほとんど行ってこなかったのかもしれない。それでまるでわれわれ記者ブロガーのブログが、かすかに開いたマスコミの代表窓口であるかのごとく、不満、不平がわれわれのところに集中したのだ。
わたしを含む多くの記者ブロガーは、そうした読者、視聴者の感情にどう対応していいのか分からず途方に暮れた。議論のマナーやエチケットに欠くコメントも多く、中には名誉毀損と思われるコメントもある。感情的なコメントについつい感情的に反応してしまう。しかしそうすることで、騒ぎはさらに拡大し、批判的なコメントが殺到する。いわゆる「ブログの炎上」である。記者ブログ以外のブログが炎上することもなくはないが、記者ブログが炎上する割合は明らかに高かった。(後略)
◆日本の参加型ジャーナリズムの現状 12月29日 ネットは新聞を殺すのかブログ
▼まだまだ少ない政治系ブログ、専門家ブログ
日本にもインターネットを使って一般市民の声が伝搬されて1つの大きなうねりを起こすという事例が過去にも数え切れないくらい存在する。前著「ネットは新聞を殺すのか」で紹介した2ちゃんねるの「奇跡の詩人事件」はその1例に過ぎない。それらを「参加型ジャーナリズム」と呼ぶべきか「消費者のクレーム活動」と呼ぶべきかは微妙なところだ。しかし現時点では参加型ジャーナリズムの定義をできるだけ緩やかにしておくというのがこの本の基本方針。よって2ちゃんねるの「祭り」と呼ばれる議論の盛り上がりの幾つかを「参加型ジャーナリズム」の定義の範疇に入れたいと思う。
つまりダン・ラザー氏を降板に追い込んだような米国のブログを中心としたジャーナリスティックな活動は、日本では何年も前から2ちゃんねるが実践していたといえる。
ただ米国と比べると、日本では政治問題を取り上げるネット上の言論が少ないように思われる。しかしこれはもともとの政治への関心の低さがその背景にあるのだろう。米国は典型的な2大政党制で、選挙の結果次第で政治が大きく変わる国だ。選挙の結果次第で、徴兵制がいつでも再開される可能性がある。「自分が投票しても政治は変わらない」というムードが強かったこれまでの日本とは異なり、米国民は政治に関心を持たざるえない状況にあるのだろう。
こうした政治風土を背景に米国の1部ブログの言論活動はジャーナリズムであるとする認識が一般に広まりつつあるように思われる。政党が有力ブロガーに記者証を発行したり、ホワイトハウスの記者クラブへの入会を認めたりもしている。
しかし日本でもポータルサイトなどは、政治に関する情報の充実を図り始めている。どの政治家が議会でどのように発言したか、どのような活動をおこなってきたか、などの情報が整理され一目瞭然になれば、日本人の政治に対する関心も幾らかは高まるのではなかろうか。また日本でも政党が有力ブロガーと懇談会を開くなど、ブロガーへの働きかけに関心を示し始めている。米国のレベルに達するまでは時間がかかるかもしれないが、同じような方向に進みつつあるように思われる。
一方で、米国と比べて日本で圧倒的に少ないのが、専門家のブログだ。米国ではあらゆる分野の専門家がそれぞれブログを開設しており、ブログが非常に有力な情報源になっている。
20世紀のジャーナリズムでは記者が専門家の意見をかみ砕いて紹介した。素人にも分かりやすい半面、読者の中の専門家には物足りない情報になることもあった。また記者が専門家の発言を租借する課程で、発言内容を誤解するということもありえた。専門家の生の発言に比べると、記者という仲介者を通した情報はインパクトに欠けるという側面もあった。
米国に多数存在する専門家のブログは、こうしたこれまでのジャーナリズムの専門情報に満足していなかった情報収集家にとって宝の宝庫となっている。
日本でもライブドアによるフジサンケイグループ買収騒動の際に脚光を浴びた公認会計士磯崎哲也さんのブログのように質の高いブログは少数ながら存在する。この騒動の際には、新聞の書く解説記事より、磯崎さんのブログのほうがよほど読み応えがあったと個人的には思っている。ただこうした専門家ブログが、米国と比較して日本ではあまりに少ないように思われる。
それはなぜなのだろう。
わたしは人生の半分近くを米国で暮らしたのだが、米国人は日本人に比べ発言欲求が確かに強いと実感している。米国人の発言要求の強さは、議論をする、自分の主張を発表する、ということの大事さを幼いころから教育の場で徹底的に教え込まれてきたからだろう。そういった米国人の国民性がブログという個人の情報発信ツールにぴったりはまったわけだ。
またそれとは別に、米国人の職業人生に対する考え方が、価値の高い専門情報をブログに書く原動力になっている、とわたしは考えている。日本人のようにできれば1つの会社を勤め上げようと考えている米国人に、わたしは出会ったことがない。上昇志向のある人は、次にどのような会社で経験を積み、最終的にはどのような技能を身に付けるべきか、ということを常に考えている。基本的に転職を繰り返すことで、キャリアアップを図るわけだ。
そして普段から自分の専門分野のことをブログに記述しておくことで自分自身を社会に、次の企業に、アピールしようとしているのだと思う。専門性の高いブログは、転職の際に非常に有効な「履歴書」になる。これが専門情報ブログが米国に数多く存在する最大の理由だと思う。
日本でも転職率が高まっているが、日本人の転職は「仕事が面白くなくなってきたから」「給料が下がってきたから」などといった後ろ向きの動機が中心ではないだろうか。できればこのままこの会社にいたいのだが仕方なく転職する、という形だ。米国人のように「今の職場に不満はないが次の技能を身につけるために」「もっと給料を取れる自分になりたいから」という前向きな理由で転職する人はまだまだ少ないように思う。
できる限り今の職場でうまくやっていきたいと考えているので、会社の目を気にしてまで自分の専門分野の情報を発信していこうとは思わない。FPNというブログサイトがビジネスに役立つ情報を流すブログの人気投票を行ったことがある。投票の結果、ビジネス情報の人気ブログを運営するのは個人事業主がほとんどで、会社員の運営するブログは1つ、2つしかなかった。
こうしたことを考えると、米国のような専門家によるブログジャーナリズムは、日本ではまだしばらく期待できそうもない。
▼ネットの一次情報を基に取材する記者
一方で「ネット上に一次情報はほとんどない。ネットはマスコミの流す一次情報を論評、分析、解説しているだけだ」という指摘がある。確かにネット上の言説はほとんどが論評、分析、解説だ。しかし一次情報がないわけではない。
特に発言者の特定がむつかしい2ちゃんねるに比べ、ブログは一人の発言者の過去の発言の履歴を確認でき情報の信頼性の度合いをある程度推測できる。検索技術の進化でネット上の情報通を探し出すことがかなり容易になった。また情報通がブログを開設している場合、コメント欄が開設されていたりメールアドレスなどの連絡先が記載されていて、実際にコンタクトを取ることが可能になった。
こうした状況がそろったことで、マスコミの記者がネット上の一次情報を基に追加取材し報道することがかなり多くなっていると思われる。わたしのような者のところにも、「ブログを見た」といって取材を申し込んできた記者は十人を超えている。同様にマスコミの取材を受けたブロガーを、わたしは何人も知っている。
2005年のマンション耐震強度偽造事件の際には「きっこの日記」というブログがマスコミ記者の情報源になっていたというのは有名な話だ。評論家の立花隆さんも日経BPのサイトに寄せた「ネットの日記が暴く耐震偽装問題の裏を読む」という記事の中で次のように述べている。(後略)
(私のコメント)
アメリカのブロガーにも共通する事なのですが、既存の商業ジャーナリズムはどうしてもスポンサーや政府の広報に引っ張られて体制の広報屋に成り下がって、それに対する批判がブログのなかで書かれることが多い。また既存のジャーナリズムは外交においても中国や韓国とは仲良くという主張をしているが、ブログでは中国や韓国に対する対立的批判が多い。
最近のテレビや新聞も政界からのチェックが厳しくて、報道機関のトップなどにクレームが寄せられる事も多いようだ。断ればその政党は番組への出演を拒否するとか、取材には応じないとかの嫌がらせを受けるから、どうしても体制の広報屋になってしまう。スポンサー経由で圧力をかける事もあるから報道機関は中立を装いながらも体制よりの報道せざるを得ない。
アメリカや中国や韓国の報道も特派員の派遣や取材などに便宜を図るなど、いくらでも圧力はかけられるし、アメリカや中国や韓国などで商売をしているスポンサーからも対立を煽るような記事は書くなとクレームをつけるだろう。そのような事が報道に反映されれば体制批判や周辺諸国への批判的な記事は書けなくなってしまう。
「株式日記」では朝鮮総連や創価学会への批判とか日本を支配しようとしている国際金融資本の陰謀とかマスコミが書かない勢力への批判も書いていますが、マスコミがどうして書かないのは圧力に屈しているからですが、ネットはいまのところ彼らの圧力は及んではいない。朝鮮総連は拉致問題への関与などで風向きも変わってきましたが、創価学会と国際金融マフィアのマスコミ支配は強まる一方だ。
これでは新聞やテレビを見ても報道されないことだらけで、「株式日記」では報道されない記事などをネットから拾い集めたりして書いていますが、プロの記者たちもネットからネタを拾って書いているようだ。耐震偽装事件なども「きっ子の日記」からネタをひろって記事にしていたようですが、世の中はそういう時代になったと言う事だ。
アメリカではダン・ラザーの誤報を元にブロガーが集中攻撃を浴びせて辞任に追い込んだのは有名な話ですが、日本でも同じような事が起こるだろう。いや、もう既に起きている。「株式日記」でも2002年8月20日に「注目されるNステーションと2ちゃんねるの論争」と題して次のように書きました。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu38.htm
鬼頭氏は11歳の日本兵だったのか? (ニュースステーションより)
《 8月15日にテレビ朝日系列で放送された、『ニュースステーション』の特集『南京戦元兵士102人の証言』において仮名を鬼頭久二(76)と称する男性が出演し、60年以上前の南京での様子を証言した。しかし、年齢を計算すると鬼頭氏は当時11才であったことになり、各所で物議を呼ぶ事態となった。『ニュースステーション』は、8月19日の放送の最後に、鬼頭氏の年齢を86才と訂正したとの情報があるが、年齢を間違えた理由や、86才である根拠については示されなかった模様だ。また、同特集の中での証言等について、不自然な点が他にも指摘されているが、それらについての説明はなかった模様だ。(ニュース実況@2ch掲示板より)
今回のニュースステーションの「南京」問題も、出版物とタイアップの作為的報道の欺瞞が、ネットジャーナリズムによって暴かれている。その中心になっているのが「2ちゃんねる」というBBSで、サーバーがパンクするほどの読者が訪れている。既存のテレビメディアも無視し得ないほど大きな影響力を持ちつつあります。今回の問題も「Nステーション」と「2ちゃんねる」の論争になっていますが、無視して切り抜けるには厳しいようだ。 》
久米宏キャスターはその1年後の8月にNステの降板を明らかにして、3月にNステも無くなった。「11歳の日本兵」報道が直接のきっかけではないものの、2ちゃんねるから袋叩きにされてやってられないよと降板するきっかけにはなっただろう。このように明らかな誤報をすれば2チャネラーが集中攻撃を浴びせる時代では新聞のように小さく訂正記事を載せればいい時代とは変わった。
最近では朝日新聞の安倍中川氏の圧力の捏造報道事件ですが、これにも株式日記をはじめ2ちゃんねるが集中砲火を浴びせて、朝日新聞の社長を血祭りに上げた。まさにプロの新聞記者やテレビの花形キャスターは誤報をすれば首が飛ぶ時代が日本でも来ているのだ。