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2005.10.31(その1)
2005年森田実政治日誌[416]
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02241.HTML
日本のマスコミは堕落した――ファッショ化する小泉政権の番犬・応援団と化した日本のマスコミ
「言論の自由を殺すのは真理を殺すことである」(ミルトン、17世紀英国の詩人)
日本のマスコミは堕落した。日本のマスコミのジャーナリストは「弱きを助け、強きを挫く」のジャーナリスト精神を捨て、政治権力の番犬となった。
日本のすべてのマスコミが小泉政治の番犬と化したことによって、戦後民主主義は終焉し、小泉独裁政治が実現した。テレビと大新聞、もっと具体的に言えばテレビ局の経営者と報道記者、および大新聞社の経営者と政治記者が小泉政権に屈服し、権力の手先・番犬となることによって、小泉独裁が完成したのだ。
その結果、日本全体が米軍基地にされてしまった。日本全体が横須賀のような「従米地帯」にされてしまった。日本はアメリカの植民地になってしまった。
マスコミの責任は重大である。2005年の日本で、日本のマスコミ人が堕落し、日本の民主主義を破壊したことは、ジャーナリズムの恥として日本の歴史に永遠に記録されなければならないことである。
10月28日、自民党は郵政造反者に対する処分を決定した。これは自民党のファッショ政党化の象徴である。だが、全国紙各紙は、この自民党の処分について社説などで意見を述べているが、全体として無批判である。
それ以上に問題なことがある。より重要な処分の時に新聞は批判を行わなかった。逃げたと言ったほうが正確かもしれない。それは10月21日の綿貫民輔前衆議院議長、亀井静香元政調会長ら9氏に対する除名処分のことである。
自民党のこの除名処分には見過ごすことのできない重大な憲法上の問題がある。この処分は政治活動の自由への侵害であり、憲法違反なのである。
綿貫氏らはまず自民党に対して離党届を提出した。離党届は自民党に対して出されたものであることは明らかである。離党届を出した時点で、除名に相当するような重大な党規約上の党規違反行為があったわけではない。ただ、小泉首相と郵政民営化および党と議会の運営に対する考えの違いがあらわになっただけのことだった。綿貫氏らは郵政民営化法案に反対したが、この時、明確な党議決定があったわけではない。
自民党は綿貫氏らの離党届を提出された時点で受理しなければならなかった。それを曖昧な形でペンディングにしておいて、2カ月後に除名するという憲法が保障している政治活動の自由を侵害する違法で汚らしい方法をとった。こんなことが自由と民主主義を国是とする日本において認められていいはずはない。それでも自民党は綿貫氏らを除名処分にした。
まさに小泉ファシズムというべきである。
もしも新聞が民主主義の側に立っているのであれば、このファッショ的決定に抗議すべきだった。強く非難すべきだった。しかし新聞は知らぬ顔をして見送った。ただ事実を報道しただけだった。結果論的にいえば、マスコミは小泉・武部ファシズムを支持した。
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無責任そのものの各紙の社説
まず、最もひどいのが日本経済新聞の社説である。見出しは「政党は内部規律の強化を」。政党はもっと内部規律を強化せよ、というのだ。これはサカサマである。一人一人の国会議員の自由な政治判断が尊重されなければ、国民主権は成り立たない。小泉独裁ともいうべき現状のもとで、国会議員個人の自由を抑制することはファシズムに通ずる。こんな主張をする「日経」には政治問題を論ずる資格がない。経済の新聞なら、経済に徹すればよいのである。金儲けのために政治を利用してはならない。「日経」には政治を論ずる能力も資格もない。欲深い資本家の手先新聞は政治に口を出すな、と言いたい。
「産経」と「読売」はこの問題を10月29日朝刊の社説で扱っていない。「産経」は記事の見出しで「『参院に甘い』不満くすぶる」(見出し)とだけ触れている。「読売」の記事の見出しは「異例の厳しさ」。解説(政治部鈴木雄一記者)は「『基準』に割り切れなさ」とほんのちょっぴり苦言を呈している。たしかに基準もなしに処分するというのは、民主主義の政党としてあるまじきことである。このことは政党の根幹に関わる問題である。こういう大切な問題を曖昧にするようでは民主主義国の新聞とはいえない。なお、「読売」は翌日10月30日の社説「『自分党』からの脱皮の一歩に」で取り上げているが、すべてを曖昧に論じている。根にあるのは小泉・武部支持である。無責任である。
「毎日」の社説も無責任そのものである。「厳しさも都合次第の秋の風」とふざけた見出しを掲げており、真面目さが感じられない。政治は真面目に扱うべき事柄である。いつも感じることだが、「毎日」の政治記事の不真面目さは目に余る。
「東京」の見出しは「この不平等は何なのか」。処分の不平等の根にあるのは、処分が独裁者の気分で行われたことを意味する。自民党においては小泉独裁者の気分・感情ですべてが動かされ始めているのだ。「東京」はこの点を突っ込むべきだった。すなわち、自民党が小泉独裁のファッショ政党になった点を批判すべきだった。
「朝日」だけが、中途半端ながら、本質に少しだけ迫っている。社説の最後をこう結んでいる。「こんなに首相の力が強くなって、党内で自由闊達な議論ができるのか。そんな心配もしたくなる処分だった」。他紙よりはちょっぴりマシだが、「朝日」も真面目さが欠けている。「そんな心配もしたくなる」どころか、自民党は小泉独裁政党になってしまっているのだ。
ともかく、自民党が小泉独裁政党になってしまっていることを全国紙のほとんどが触れていない。マスコミが小泉独裁政治を望んでいるのだ。
得票率49%で3分の2以上の議席獲得――選挙制度がおかしいのだ。だが、選挙制度のおかしさを論じた新聞は一紙もない。この点もひどいことだ。
このような小泉独裁体制をつくったのは、日本のマスコミである。テレビと大新聞が小泉独裁体制をつくり出したのである。
2005年のテレビの報道記者と大新聞の政治記者は、最も堕落したジャーナリストとして歴史に記録されるだろう。反省せよ、と言いたい。
小泉内閣は日本列島を米軍に自由に使わせることにした。あらかじめ地方自治体の考えも聞かず、勝手にアメリカの言うとおりに日本をアメリカに提供した。「日本の横須賀化」が行われたのだ。
マスコミはこれを支持してきた。マスコミは売国奴になった。日本のマスコミはもはや日本国民のためのマスコミではない。マスコミ人よ、君らはアメリカに移住すべきだ。小泉首相らもアメリカに行くべきだ。