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6月2日、参議院厚生労働委員会での小松秀樹氏の発言をまとめました。
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http://kokkai.ndl.go.jp/
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/164/0062/16406020062023a.html
第164回国会 厚生労働委員会 第23号 平成18年6月2日
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○参考人(小松秀樹君)
小松でございます。
私は、現場の現役の医師でございます。本日の私の話の内容は、お手元にお配りした「医療崩壊 「立ち去り型サボタージュ」とは何か」という本と、トイブナー氏の講演原稿に記載されていることですので、詳しくは後でお読みいただけたらと思います。それから、私の原稿をお渡ししてありますので、それを見ながら聞いていただけたらと思います。
現在、日本の医療機関は二つの強い圧力を受けています。医療費抑制と安全要求です。
この二つは相矛盾します。資金不足による労働条件の悪化と患者とのあつれきで医師が使命感と意欲を失い、医師が大量に病院から離職しております。ひどい労働環境や患者からの攻撃があっても、それでも医師なんだから使命感を持って頑張るべきだという意見が患者側から出ると、がっかりして辞めようと思うようです。現在、イギリス型の医療崩壊が進行しつつあるというふうに私は見ます。
本日は、医療崩壊の最大の原因である医師と患者のあつれき、また医師にとってダメージの大きい刑事司法の問題を中心に述べます。
医療は本来不確実なものです。この点で患者と医師の間に大きな認識のずれがございます。
患者は、現代医学は万能で、あらゆる病気は立ち所に発見され、適切な治療を受ければまず死ぬことはないと思っております。良い医師の治療では有害なことは起こり得ず、起こればその医師は非難されるべき悪い医師である、医師や看護師は労働条件が過酷でも過ちはあってはならず、過誤は費用、すなわち人員配置やシステムの問題ではなく善悪の問題だと思う傾向がございます。
安全水準を高めるには莫大な費用が掛かります。しかも、幾ら費用を掛けても死は不可避です。死をあってはならないと考えている限り、不安はなくなりません。過度な安心、安全要求がかなえられることはなく、不安が攻撃性を生んでおります。
多くの政党は、安心、安全を政治的標語として安易に振りまき過ぎました。メディアは犯人をつくってこれに報復するというような図式を取り続けました。司法は、医療側から見て理不尽と思われるような攻撃の一部を正当と認定してきました。この結果、医療現場はとげとげしいものになりました。これは、外から見るよりは、実際に中にいると強く感じます。特に、私は紛争の処理を担当していますので、かなり身に染みて感じております。
入院診療では約一〇%に有害事象が発生します。不満があると、患者、家族は病院に苦情を持ち込みます。過去には問題がありました。検察と同じで、無謬を前提にし、それゆえの隠ぺい体質がありました。
一九九九年の「人は誰でも間違える」の合衆国での出版以後、世界同時に医療側の考え方が変化し、事故や過誤があり得ることが前提になりました。安全対策、事故への対応が劇的に良くなりました。
直接交渉で紛争が解決しないと民事訴訟になります。民事訴訟には、立証責任が患者側にあること、これはもう非常に難しい、高額の訴訟費用が掛かること、二当事者対立構造を取るために裁判の過程を通して双方の対立が高まり、かなり憎しみ合うような状況にまでなること、こういう欠点がございます。
そこで、民事訴訟に貧しい人は踏み切れないわけですが、そういう患者さんは警察に訴え出ます。患者側の立場に立てばこれは当然のことだというふうに私も思います。桶川ストーカー事件の影響もあり、訴えがあると警察、検察は護民官として捜査に着手せざるを得ません。
警察、検察はどのような方法を取るかということですが、医療という善意の行為の結果起こったことについても凶悪犯罪と区別してはならないとされています。法の無関心という言葉で表現されます。警察、検察は最初に有罪だとの心証を得ると、努力の方向は科学的真相解明ではなく有罪を立証することに向かいます。
日本では、犯罪の立証に自白が重視されます。事情聴取で警察の意に沿った証言をしないと、逮捕監禁して自白を迫ります。密室での取調べは録音されずに、弁護士も立ち会えません。自白するとしばしば略式起訴で罰金五十万円。自白しないと勾留延長から起訴。一、二審で無罪になっても、検察は最高裁まで争います。このために、争点があって無罪を主張するほど実質的な罰が大きくなります。このため、医師は無罪だと思っていてもしばしば罪を受け入れます。
密室での取調べは世界的に問題があるとされております。中国ですら警察の取調べに弁護士の立会いが検討されています。
刑事事件では業務上過失致死傷が適用されます。刑法は原則として過失を罪とはしません。業務上過失致死傷は例外規定の一つです。罪刑法定主義から遠い規定で、極めて広い範囲まで罪になります。医療に関する限り、刑法の業務上過失致死傷と民法の不法行為には本質的な差がありません。刑事と民事に境界がなく、刑事事件として扱うかどうかは警察、検察の担当者の判断にゆだねられることになります。
医療は危うくなった生命を救おうとしますが、しばしば成功いたしません。医療は極めて多様な決定をしながら実施されます。ある状況での正しい医療行為は一つに限定されているわけではありません。正しい医療は多数あり、医師は妥当と思われる範囲で選択、決定しながら診療を進めていきます。
選択された医療によって発生するリスクの性質が異なるような状況もあります。さらに、医療は、診断の過ちを病理解剖で確認したり、治療行為の結果を検証して反省したりしつつ進歩してきました。
医療は不完全技術で、常に欠点があります。医療に対して業務上過失致死傷を適用すると、医療に内在する性質ゆえに極めて広い範囲まで犯罪とすることが可能になります。
加えて、警察官も検察官も医療の結果が確率的に分散するということを理解しません。因果関係の決め方を含め、医療の論理を把握しておりません。罪とすべき医療、この定義も問題ですけれども、これを過不足なく判断する能力があるとは思えません。
検察は、被害者感情や、メディアに世論として表現された社会の不満に法的決着を付けて、国家が社会の構成員に常に配慮していることを示すことにより自らに正当性を付与し、結果として社会の秩序の維持をしやすくしていると想像いたします。国民国家維持のためには当然の努力だと思います。
しかし、法律家にも異論があります。刑法学者の町野朔氏は、過失犯罪について、我が国には被害者感情や世論が責任の重さを決める風潮があるとしています。認識があったから責任が重いということが徐々になくなってきたというのは責任に実体がなくなってきたことだ、今のような世論がそのまま突っ走ることを認めろということになるとリンチを認めるということになると警告を発しております。
司法やメディアが非専門家側に立ち、専門家と対峙する構造は医療に限ったことではありません。
昨年九月、日本におけるドイツ年記念事業の法学集会が開かれました。トイブナー氏の基調講演、これはお手元に配ってありますけれども、これは非常に示唆に富みます。国民国家から世界社会に変貌するにつれ、世界社会の法がそれぞれの社会分野ごとに形成されるようになってきました。例えば経済、学術、テクノロジーや医療などにおける正しさは国内法を超えて世界的に同時進行で形成されます。
トイブナー氏は、国民国家的思考方式は世界的紛争を処理するのに十分かと問い掛けます。
法中心主義的アプローチでは、国民国家で形成されたような精緻な整合性、明確な規範ヒエラルキー、厳格な審級制度で対応しようとします。政治中心主義的アプローチでは、衝突を利害の対立あるいは政策の対立ととらえます。紛争解決は国際的な権力間の利害調整の問題となります。
トイブナー氏は、これからの衝突は、政策的対立ではなく、世界社会の各分野ごとに形成された部分社会間の合理性の衝突が重要であると見ます。法による統一的規範は成立することはなく、法は到底それらの矛盾を解消できない、互いの規範を尊重し、自律的部分社会同士の相互観察で共存を図るしかないとしました。
例えば、ブラジルでのエイズ治療薬の特許を無視した製造販売では、保健の合理性と経済の特許についての合理性が衝突し、保健の合理性が優先されました。
現在の国内状況は、司法レジームが、国民国家成立時に制定された法規範に基づいて、国際的に規範が制定されている医療レジーム、航空運輸レジーム、産業レジームと対峙し、時にこれらに破壊的影響を与えているように見えます。
法律は規範の源泉ではありません。規範は人間の営みから歴史的に生じます。トイブナー氏は、分かりやすく言い換えると法は対話の形式だと主張して、司法に謙虚さを求めました。
業務上過失致死傷は組織ではなく個人の責任を対象としています。しかし、多くの医療事故や医療過誤はシステムの問題です。ヒューマンファクター工学では、人間のエラーの多くは環境から誘発されたものと理解されます。システムの問題について、個人の処罰で対処することは安全向上に寄与しないとされています。さらに、刑事罰を科すとなれば、憲法上、当事者は証言を拒否できるので十分な調査もできません。
医療の安全のためには、システムの機能不全と個人の能力不足に対処しなければなりません。これは個人の処罰では改善されません。システムの改善、個人の再教育、免許の停止、制限などできめ細かく対応すべきです。
イギリスでは、長年の医療費抑制政策によって医療従事者の士気が崩壊しました。入院待ち患者が百万人、手術可能と判断された肺がん患者の二〇%は手術を待つ間に手後れになります。多くの医師がオーストラリア、カナダ、アメリカに移住しています。
このため、ブレア政権は二〇〇〇年に五年間で医療費を五〇%増やすと宣言しました。しかし、いったん医師の士気が崩壊すると費用を増やしても元には戻りません。
二〇〇四年、日本の医療費の対GDP比はイギリスより低くなり、先進七か国で最低になりました。
日本でも外来診療には相当の費用が掛けられています。しかし、入院診療は極めて低い費用で運営されています。医師や看護師の使命感と過酷な労働で支えられてきましたが、労働条件の悪化とリスクのため、仕事を放棄し始めました。
医療を崩壊させないようにするためには、医療事故の防止も重要ですけれども、事故がなくなることはあり得ません。医療過誤があることを前提にして、公平な処理システムを医療制度に組み込むべきです。
具体的には、専門の医療事故調査機関、公平な補償制度、安全向上を目指す行政処分制度の整備が必要です。
私の試算では、過失の有無に関係なく、医療に関連して身体障害や死亡を来し、患者、家族が不満を持つ事例は年間一万三千から二万六千件発生します。当該病院以外の第三者の専門家が、患者側の求めに応じて調査し、患者側にその結果を説明するようにする必要があります。
将来のあるべき医療事故調査機関の条件は、患者側の訴えに応じて調査を開始する、多数の調査を実施できる、調査員は医療の現場を熟知している、医師だけでは不十分で、看護師、臨床工学士、薬剤師など多くの職種が必要、人材の確保が最大の問題、病院団体が人材提供のかなめになる、法律家も参加し、犯罪性のあるものは検察に送る、海難審判のような民事の第一審に相当する権威を付与する仕組みが必要、そうしないと裁判が激増し、処理し切れない。別に補償制度を整備し、権威を付与された調査結果に基づいて、一定条件を満たす事例に対し公平に補償する必要があります。このような制度はスウェーデンやニュージーランドで既に実施されております。
このような制度ができれば、それだけで医療の崩壊が防げるでしょうか。
ハナ・アーレント、政治哲学者ですけれども、彼女は「全体主義の起源」で、大衆による攻撃についてのトックビルの発見を紹介しました。フランスで大革命の初めに突然堰を切ったように起きた貴族階級に対する一般の憎悪の理由と動機は何か、貴族階級はその権力の絶頂にはおらず、抑圧だの搾取だのは全く存在しなかった。だれの目にも明らかな権力喪失が民衆の憎悪をかき立てたのだと。
医療への攻撃はイギリスでも起きております。もし権威の喪失が攻撃の引き金になっているとすれば、現在、医療側が実施している改善そのものが攻撃をかえって促進させ、崩壊を早める可能性すらあります。
医療は急速に崩壊しつつあります。私は、この一年余りに、患者支援団体、患者側弁護士、医療事故防止議員連盟、厚労省、裁判官、検察、私立医科大学協会、医療制度研究者、安全工学の専門家、メディアなど多くの方々とこの問題を議論してきました。全員に私の危機感を共有していただけました。意見の隔たりは実は余りありませんでした。
厚労省には、昨年から、この問題に早急に対応するようにお願いしてきましたが、医療制度改革関連法案の仕事で忙しくて、いまだに危機に対応できているようには見えません。沈み掛かった船で、船長が操船よりも保守点検マニュアルの書換え作業を優先しているような印象すら受けます。
いずれにしても、複数の省庁にまたがった問題なので、厚労省だけではこの危機に対応できません。省庁を超えた対策チームが必要です。対策を考えるに当たり、医療についての考え方のそごが崩壊の大きな原因なので、総論部分の国民的議論から始める必要があると思います。
以上です。ありがとうございました。
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○小池晃君
続いて小松参考人にお伺いをしたいんですけれども、参考人の先ほどの主張の冒頭でおっしゃられたように、日本の医療というのは二つの強い圧力にさらされていて、一つは医療費抑制で、一つは安全要求だと。
その医療費の抑制ということでいうと、今回、老人保健法という法律の目的が、名前が高齢者医療確保法と変わって、目的にわざわざ医療費の適正化ということが盛り込まれてくるんですね。
適正化の名の下に実際は抑制だと思うんです。これが在院日数の削減という話もあるし、後期高齢者は今議論あったように一層全体として抑制の仕組みがつくられようとしているし、都道府県ごとに保険料を設定して、これも競争させると。
医療費の抑制の大競争が高齢者の中でも、全国都道府県でも起こるような仕組みが今回の法案では盛り込まれているんですが、こういうやり方によって、小松参考人が危惧されているような日本の医療現場の崩壊というか危機というか、これがどのように進むとお考えか、お聞かせ願いたいんですが。
○参考人(小松秀樹君)
私は保険については余りよく知らないんですけど、いずれにしても、日本では医療費が高いという前提なんですけれど、それで前提として抑えなければならない。だけれども、それなりのお金は掛かるわけで、日本よりずっと前に抑制を重ねてきていたイギリスは完全に崩壊いたしました。イギリスの医者は外国へ行っている。
今、日本の医者は非常にやる気がなくなっています。どういうふうになっているかというと、医療費の抑制もあるし、それとやっぱり患者さんとのあつれきなんですね。
実は、医師の不足は地方だけではありません。私どもの、私の実は科でも今三人欠員になっています。都内の産婦人科の、大きい病院の部長さんというのは私そんなたくさん知らないんですけど、私の知り合いが二人、定年を大分残して辞めました。一人はもうしばらく医者をやりたくないと言っていましたね。
それから、福島県で、福島県の大野病院の事件がある前に、福島県立医大の教授は私の同級生なんですけど、から昨年九月に聞いた話なんですけど、福島県の基幹病院の内科部長が四人ほど一遍に辞めてしまって、非常に困っていると言っていましたね。
それから、つい最近聞いた話ですけれども、いわき市という三十五万人ぐらいの都市があります。そこには千床ぐらいの病院と、あと八百ちょっとあれですけど、大きい病院が二つあります。そこの二つの病院とも産科診療が近いうちになくなりそうだという話を聞きました。
これ、どこでもあるんですよ。外から見るよりはるかに大変な状況で、みんな辞めようとしている。
それで、辞めた場合にはどうなるかというと、そのいわき市の大きい病院では、今、少し前まで部長さんをされていた方は実は産科を辞めて、ちっちゃい病院に移ったんですね。それで、そこで婦人科だけやっている。ちっちゃい病院に移る。それから、都内のある大病院の部長だった人も今辞めて、ちっちゃい診療所で働いています。で、ちっちゃい診療所に移る。それからあと、開業に移る。
それで、開業医さんってお金持ちのイメージがあるんですけど、今は多分物すごいつらいと思います。もうこれは嫌だと言って、この圧力と責任の、無限責任を問われるこの圧力に負けて、もうちょっと人間らしい生活したいと言って開業しているのが実情だと思うんですね。それで、病院診療からどんどん人がいなくなる。で、病院診療はどんどんどんどん忙しくなる。
人が少なくなり始めると、産婦人科医が五名いた草加市立病院は、いったん傾き始めたら半年ぐらいで全員いなくなっちゃいましたから。そういうことが今日本じゅうで、そこらじゅうで起きているということです。だから、病院診療が多分なくなるだろうというのが私の予想です。
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○福島みずほ君
社民党の福島みずほです。本日は本当にどうもありがとうございます。
まず小松参考人にお聞きをいたします。
イギリスで医療費を増やしても医療が立ち直れていないとのことなんですが、その理由は何でしょうか。
○参考人(小松秀樹君)
ランセットという非常に有名な医学雑誌がございます。これは、昨年のイギリスの五月の最初に総選挙がありまして、その直前の号で、表紙に、医師の士気の壊滅的崩壊と書いてある。すべての政党がこれに注目することができなかった、これを問題視できなかったと言っていますね。
ランセットは、実にイギリスでは政治家は医療を消費ととらえて、それで消費者中心の医療という、経済的な感じの物の見方を全政党がしていた。それで、消費者中心の医療だから、何でもかんでも要求しなさい、あなた方に何でも提供できますよというようなことを言ってきた。
だけども、三十年弱ですけど、ずっと医療費を抑制し、それで供給が足りないから、患者からの暴力は年間十万人ぐらい受けている。そういうすさまじい中で、ちょっとぐらい支給を増やして、お金を増やしたからそれが元に戻るかというのが、昨年の二〇〇五年の四月三十日ぐらいのランセットに載っていました。それは、医療費を五年で五〇%増やすと宣言してから五年後なんですね。
それから、私はもう一つあると思っています。それは、イギリスで良質の医療が医療保険で提供されているということなんです。医療がもう完全に崩壊してしまっているんで、今、イギリスで全く私費の保険、私費の医療があります。NHSという国営の医療は全員がほとんどただで受けられるんですけれども、それに一切頼らないで、お金を出してやろうと。
私の知り合いにNHSで働いている麻酔科医がいるんですけれども、彼女は、この私費の保険はNHSの給料では買えないと言っていましたですね。日本の駐在員はみんなこの私費の保険を買ってると。私は、日本にこの民間による医療提供、民間保険での医療提供システムができて優秀な医師がそちらに流れると、現在の皆保険での医療は質が下がって元に戻れなくなるというふうに考えています。
私はよく医療制度知らないんですけれども、完全に自由診療の場合に制限するというのはちょっと難しいかもしれないと思っているんですね。
今の医療の、現在の医療環境と患者との関係、費用の掛け方だと、医師は開業の方に流れるし、看護師さんは一年たつと二〇%ぐらい辞めちゃうんですね。それで看護師にならない、ほかの職に就いていくと。これは止められないと思います。今、医療のいろんな制度の話していますけど、そんなのと関係なしに、もうみんなどんどん辞めちゃっているということなんですね。
それで、これは、だけど実際には医師や看護師の本意ではないと思うんですね。本格的な医療現場で働くのはやっぱりみんな好きなんです。
私は思うに、都会で大きな保険会社が民間の医療保険を売り出したら、私は成功すると思っています。大きな病院で出資して私費の診療にすると。看護師の配置を二倍にする、優秀な医師を雇い入れると。気持ち良く働けて良質な医療が提供できるとなったら、給与はほんのちょっとだけ増やすぐらいでいいかもしれないし、あるいは、むちゃな勤務をなくしたら高い給与は不要かもしれません。
優秀な医師を集めるには病院の質を上げるのが最も重要で、外部委員会が医療の質を判定して徹底した質の管理を行う。スウェーデンのような無過失補償制度も、もうそういう民間の保険でやってしまうと。
ただ、現在の保険診療よりはるかに良質の医療を提供するにしても、勤務医の収入がアメリカなんかに比べると、勤務医に関してです、特に大病院で働いている勤務医の収入ははるかに低い。ですから、それから富裕層は相対的に健康です。貧しい人と全く異なります。
ですから、保険料は合衆国に比べたらはるかに安くできるはずなんですね。そうすると、ビジネスで十分に、ビジネスの専門家が考えれば多分成功すると思います。
リーダーとなり得る医師は全医師の五%以下だと思うんですね。リーダーになる医師がこういう病院に取り込まれるようになったら、もう後戻りは利かないというふうに思います。こうなると、国民の中で受けられる医療に大きな差が出てきます。社会に明確な階層がつくられることになる。
私はいろんな方と議論していて、特に医者の仲間では常に議論している相手がいるんですけれども、やっぱり崩壊は避けられないという意見の方が多いんですね。これはここまでの議論とちょっと感じ違うんですけれども。
ある有名な方は、崩壊してから立て直せばいい。それで、今もまだ医学部の入試は難しくて優秀な人が来ているから大丈夫だろうと言うんですけれども、私は、崩壊すると、真っ当な医療が来ないとなると、みんな何かをやろうとする、そうするといろんな動きが出てきます。そうすると元に戻れなくなるんじゃないかというふうに危惧しております。
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○福島みずほ君
小松参考人にお聞きをいたします。
「医療崩壊」という本を読まさせていただきました。アメリカについては、例えば最近読んだ本で、「市場原理が医療を滅ぼす アメリカの失敗」医学書院なんという本もありまして、日本が進むべきではない方向というのは見えるんですが、あと、日本のいい制度を生かしつつ、どう今の問題点をクリアするか。
医療崩壊と反対のことをやればいいということはよく分かるんですが、今のたくさんいろいろ問題がある中で、小松参考人が提言としてどういうことをお考えでしょうか。本や論文の中では、医療過誤の問題について、ある程度こういう制度があったらどうかという提言はありましたけれど、医療過誤以外の点で、例えばこの医療崩壊を迎えないために日本の医療についてこういうことをやったらどうかという点についてお聞かせください。
○参考人(小松秀樹君)
一つは、基本的には、今の医療は総額として安過ぎると思います、日本の医療費の掛け方は、世界的に見て、比較での話ですけど。これだけの医療費で、今の医療費でやれている国はほとんどないと思うんですね。
それからもう一つ言えることは、それでもまだ頑張っている、もうちょっとしたらつぶれる。つぶれる、崩壊寸前にあるから、崩壊した後のお金の掛かり具合から考えたら、アメリカでは医療は産業になっているので、お金が払えない人が一杯いるので、政府は日本よりはるかにお金出しているんですよね、医療に。だから、つぶれたときのことを考えて、もうちょっと医療に私はお金を出した方がいいと思っています。それが一つ。
それから、医療過誤の問題じゃないんですけれども、医療の現場がとげとげしくなっているのは、やっぱりコンセプトの問題だと思うんですね。死生観、死生観と医療に何が期待をできるのか、それから医療が公共のものなのか、一杯自分でお金払ったら何でも言えるようなサービスなのかということなんですね。
公共のものであるというんだったら、それを、公共のものはどういうふうな扱いでみんなが大事にしないといけないかというようなことを話さないといけないと思うんですね。医療についての、今の崩壊を防ぐのはもうむちゃくちゃ難しいと思うんですけれども、とにかく考え方が全然違っていて、日本人のもう行動パターンも全然変わってきている。
それから、これ、やれるかどうか分からないんですけれども、合意が得られるかどうかも全然分からない。それでも、国民注視の中で、大舞台で根本的な議論をやるべきだというふうに私は思います。
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